ナリタトップロード(前編)
この話をする前に話せなければならないことがある。今の競馬のしくみについてである。昔は、自分の厩舎の馬に専属のジョッキーがのるのは当たり前のことであった。それは、ジョッキーを育てるために当たり前のことであった。しかし、今ではどの厩舎でも勝ちにこだわるのが当然になってきてる。そのために「フリー」のジョッキーが多くいる。フリー以外のジョッキーをリーディングの上位で見つけるのが困難になるほどに・・・・。今から書く物語はそんな時代の中、そして、サンデーサイレンス絶頂期の中のサッカーボーイ産駒と若手ジョッキーの友情と、信頼の物語である。ナリタトップロードこの馬の名前をあなたは知っているだろうか。残念ながら「名脇役」というのが正直なところであろう。アドマイヤベガテイエムオペラオーという2頭と3強に数えられた、強い馬である。しかし、あまりにテイエムオペラオーが光り輝いてしまったために脇役として数えられてしまう。しかし、彼の人生を考えると名脇役の一言では収まりきらないものがある。彼は、佐々木牧場で生まれ育った。決して大きい牧場ではなかった。しかし、社台ファームに負けないように切磋琢磨していた。佐々木牧場では、社台に負けないようにも、繁殖牝馬を海外から買って来るようになっていた。そんななか牧場長の佐々木孝氏はフローラマジックという牝馬を見つけた。そして、ツルマルガールなどをだして、国内産の種馬の中でもエースになりつつあったサッカーボーイを相手に選んだ。種付け料が安かったこともあってだろう。生まれた仔馬は調教師の目にすぐにとまる。見た目が父似で、馬体も良かったからだ。声を掛けたのは 沖調教師だった。そして、ナリタトップロードは佐々木牧場の期待を一身に背負って沖厩舎へと向かう。そのころ、もう一人の主人公である渡辺ジョッキーは沖厩舎の専属ジョッキーをやっていた。4年間で58勝と、無名な若手ジョッキーでしかなかった渡辺ジョッキーは沖氏に大切に育てられていた。初めてのG1挑戦はバンブーピノという馬であった。この馬を知らないだろうか??渡辺ジョッキーはこのレースで忘れられない経験をする。初めてG1で緊張しきっていた渡辺ジョッキーはバンブーピノがかかっているのに押さえられなかった。それと一緒にかかってしまったのが一番人気ファビラスフィンである。結局、一番人気のファビラスフィンは、その暴走のせいで14着バンブーピノは13着しかもレース後故障これにより、渡辺ジョッキーはファビラスフィンをつぶした男として定着してしまったのである。こんなに苦労していた愛弟子をどうにかしてあげたいとずっと思っていたのが沖氏である。そんな中入厩してきたのがナリタトップロードである。この馬を沖氏は愛弟子に任せた。3歳(現2歳)時は3戦して1勝と振るわなかったナリタトップロードであるが沖氏は期待していた。負けてなお強しという競馬が続いたからである。「この馬は走る。」そう感じていた。その証拠として、沖氏は格上挑戦できさらぎ賞挑戦を試みる。そしてトップロードはこれに応えて見せた。500万下の馬がきさらぎ賞に勝つ。こんな流れを覚えていないだろうか??そう、トップロードの前の年に、武豊に初めてダービーという称号を与えたスペシャルウィークと同じローテーションなのである。この時渡辺ジョッキーは、まだ重賞すら勝ったことなかった。普通ならここでジョッキーを変えてレースに備えるべきである。しかし、沖氏は自分の弟子を信じた。指示も「好位につけろ。あとはまかせる。」と鞍上に任せたのだ。このレース、相手はいなかった。渡辺がどう乗るか。まさにそれしだいであった。しかし、渡辺は好位につけ、そのまま1番人気のエイシンキャメロンにハナ差だけ先着して見せたのだ。ここで、一気にクラシックの主役に躍り出る・・・・・。そしてついに皐月賞トライアルである弥生賞相手には武豊擁するアドマイヤベガ3強時代の幕開けである・・・・・