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カテゴリ:自分のこと好きですか?
何かあって今までの価値観が揺らぐことはあります。
その時は根っこの方から崩れ落ちるような、全てが無に帰すような、今までが無駄だったような感じになることもある。 でも本当に全てが無に帰すことはなくて、絶対に何かが残っている。 まるっきり何もなくなる、ということは滅多にない。 少なくても、今までの努力の方向が間違っていた、というデータは残る。 それはとても大事な体験でもある。 価値観が揺らぐ、と言うことは根っこが無いとか、芯が無いとか、軸が無いとか言うけれど、同時に軸を探すために揺れることもある。 フラメンコの先生が言っていたのだが。 本当に体の軸を感じようと思ったら、まっすぐ立ったつもりで動かずに 「これかな?あれかな?」 と思っていても分かるものじゃない、そうです。 体を前後左右に揺らしてみて、何処に中心があるか、何処が真ん中か、感じるしかないそうです。 あ、これ、瞑想の本にも書いてあったな。 価値観が揺らぐ、ってことは、結局価値観の軸が何処にあるかを再確認しているのじゃないかな、と、ふと思ったんですね。 もちろんどっちかに偏り過ぎれば、何時か反作用が起きる。 そしてそのバランスを何処でとればいいかを探っていく。 ただあまりにも偏りすぎたら、バランス崩れて壊れたりもする。 中途半端にバランスをとっているつもりになっている方が、よほど面倒なことになる。 それこそ重心を一応取りながらも、めちゃくちゃに積んだ積み木のようなもので、ちょっとショックがあれば、崩れ落ちてしまう。 それならぐらぐらと揺れながらも、一つづつ確実に積み上げていった方が、良いんじゃないかな。 価値観などは揺らがないで、ドン、とあるのが良いって言われるが。 実際に揺らがない軸ってのは大事なんだけど。 でも中途半端に四面四角に固める必要はなくて、気付いたら「どんっ!」とそこにあるもんじゃないのかな~、って思ったりもする。 結局私の中で揺らがないのは。 誰かから教えてもらったものでもなく、本やネットで知識として知ったものじゃなく。 体験の中から育まれたものでしかないんだよね。 だからこそ。 馬鹿もやってみて、羽目も外して、失態も沢山して、辛いことも沢山味わって。 そして見つけた自分なりの答えが、一つの大きな指針になる。 だから揺らぐこと自体が悪い訳じゃない。 それで改めて自分の軸を探して、構築し直しているだけの話。 中途半端で変なところで変な形で止まらなければ。 じゃないのかな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.03.04 19:55:48
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