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カテゴリ:自分を変えたい
自分に対する過小評価というか、自分の軽視することについてメモ。
切っ掛けというか、どうしてそうなったかは、親の人格否定、イジメ、自分を褒めたら、叩き落されるようなことがあったとか、原因の一つ、と思えるものは出てくるけど、なんか「これ」という核心部分が、どうしても来ない。 あげつらってみても、理由の為の理由を書きだしている感じになる。 なんか違う。 ずれる、表面的になる。 で、恐ろしいことに、これを引き出す自己卑下の人格の名前が出てこなかった。 さすがに自分で唖然とした。 いや、さすがにそれないだろっ!って突っ込みつつ、でもどーしても出てこないので、ブログさかのぼって、探しに行って来た。 見つけたよ、陽ちゃんだ。 自己卑下抑圧人格。 それじゃ確かに焦点が合わない訳だ。 というか、今、ともかく自分の人格を思い出せなかったことに、ショックだ。 何やってんだ、私。 で、色々と思いだすと、マロさんに話をした過程って、この人格のスゲー大きい一歩だと改めて思ったのだが、同時に自分の事を卑下して変なものにもしてる。 と書いたけど、やっぱり違う感じがした。 ん~~~、感覚としてやっぱり頑張ったのは律だな。 そしてそれを抑えきれずにぶっ飛ばされたのが陽ちゃん。 だからこそ機能しないし呆然としてて、ただ自動的に自己卑下を働かせて、やっている事を地に落す。 と、いったところか。 すごくないことにしておいた方が、後で何かした時に楽だから、責められないから、それをしたのにって引き合いに出されたくないから。 他の結局出来ないことの言い訳に使いたいだけじゃん、それってどーなのよ、自分。 格好悪いし、おかしいじゃん。 そんなみっともない事を、し続けたくないな。 と言ったところで返事無し。 まあ、半分以上忘れられていた相手からそんなこと言われても、動く訳ないか。 取りあえず陽ちゃんを自覚したら、自己評価過小について、かっちりハマった感じがする。 そんなに自分を評価するのが嫌か、怖いか。 その辺りを焦点を合わせれればいい。 ま、一応人格で区別つけてるけど、結局私なんだけどね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.11.04 22:52:01
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