気付きと理解、その先へ
色々なことに気づいて、腑に落ちる時は、パパパっとひらめいて、辺りが一気に明るくなる感じがする。そして見通せなかった闇の向こう側が見える感じに、テンションが上がったり、喜びに満ちあふれたりする。ただ、その状態は長くは続かない。同時に分かっているのに、無意識にそうでない方を選択し、行動していることに嫌でも気付きだす。腑に落ちているのに。理解出来ているのに。それでも自分自身がそれを裏切る行動に走る。その矛盾さえ気づかずに、腑に落ちた時に状態を維持しようと、全てを喜びの世界にしてしまう人もいるが、それはただ単に、自分の嫌な面を観ないように蓋しているのと同じだ。矛盾に気づいたら、次にその原因の、根っ子を探り当てていかないと、結局は何の進展もない。何が原因なのか。何から、その宇宙の法則に背を向ける行動をするようになったのか。喜びに満ちた世界から一歩踏み出し、更に自分の中身を掘り下げていく。大抵の場合は、そこに傷ついた自分がうずくまって泣いている。原因が見つかったからと言って、直ぐに解決することは少ない。時には何故か「癒されること」を拒否する自分がいるのだ。全てを拒み、ただ傷を抱いて痛みを感じている自分。そうなると時間をかけるしかない。少しづつ解きほぐし、少しづつ気持ちを緩めていくしかないのだ。そうして一つ解きほぐすと、また一つ新しい傷が浮かんでくる。今度はそれを昇華して行く。それを繰り返しながら、時にはその傷にのまれながら、時には光を見失いながら、一つ一つ昇華して行く。やがて気付いたことが本当に当たり前に、常に感じられながら、でも自分の感性は殺さずに生きることが出来るんだと思う。喜びに満ちながらも、本気で怒ること。受け入れながらも、許さないこと。愛情を持って必要ならば相手を傷つける様な行動をすること。そういう一見矛盾に満ちた、でもハートに基づいた行動をすることが可能になる、のだと思う。そんな訳で今やっているのは、その一歩踏み出した地道~~~な作業。時には自分を見失いながら、でも少しづつ確実に進むために。