面倒
何がって、生きるのが。何故生きているのか分からない。何故ここに居るのかわからない。どうしたいと言うこともない。死にたいとも思わない。ただ生きているのが面倒になる。何時になったら寿命が来るのか、何故死なずに生きているのか。身体は嫌でも生きようとする。それに引きづられて仕方なしに生きている。何も欲しくない。何もしたくない。ただ終わりたいだけ。自分の中には何も欲求が無い。こうしたいと言うものもない。もし、命が誰かに分け与えられるのなら、今日一日分を残して、全部分け与えてしまうのに。そうしたらここから離れられるのに。なにも要らない。なにもほしくない。常に私の中心は空っぽのまま。何も満たせない。何も見当たらない。虚無。そう、本能的な、本質的な欲求が私には欠けている。なぜみんなが生きたいとか、アレしたい、これしたいと言うかが解らない。衝動とか、そう言ったもの全般。ただそれを言っても仕方ないので言わないだけ。だからとりあえず何か欲求があるふりをしているだけ。何もないのを見ないふりをしているだけ。私は本当のところ、口に出している事は何も求めていないのだ。求めているふりをして、それに対して普通の人の反応をしているだけなのだ。手に入ったと見えるのがただの幻想。本当に欲しいものなど何もない。だから手に入っても本当には喜べない。あるのは虚無だけ。++++++++++まあ、約10年周期のものなのですが。毎度ながら私自身が本当は何も求めてないのが、改めて分かることです。今回10年前と違うとしたら、以前ぽっかり空いていた、底なしの空洞がなくなっている事くらいですかね。何をしても埋まらない、埋めようのなかった空虚がどこにも見当たらないことです。それ以外は特に変わらないな。本当に何になりたいと言うわけで無く、何を手に入れたいと思うわけでもなく。哀しいとか苦しいとかそういう感情も一切感じることもなく。ただ無いな、と思うだけ。仕方ないので毎回無理やり適当な目標みたいなのを作って、それに執着するふりをして、そうすると何時の間にか、擦りかえられて表の意識は執着していくので、そうやって無理やり生きているようなものです。何か人として生きて行くための何かが、私はごっそり抜けおちているんですよね。通常見ないふりをしてますが。本当に約10年ごとにそれを思い知らされます。人によっちゃ、ただの鬱と言って終わるんだろうなぁ。