母の思い出・・・
親孝行ねぇ・・・「したいときに親は無し、墓に布団も掛けられず・・」ってよく云いますが …こころおかあさまは おとなで大きいけれどおかあさまの おこころは ちいさいだって、おかあさまはいいました、ちいさい わたしで いっぱいだって。わたしは子どもで ちいさいけれど、ちいさいわたしの こころは大きい。だって、大きいおかあさまで、まだいっぱいに ならないで、いろんなことを、おもうから。。。詩のはじまりは、神さまへのおいのりだった・・・という・・金子みすずの童話よりお母さんと一行書いたら,お母さんの笑った顔が浮かんだお母さんともう一つ書いたら,ピンクのブラウスのお母さんが見えたお母さんと言ったら,はぁ~いって、お母さんの声がしたお母さんと もう一度言ってみたけど…もう、何も聞こえなかった頑張って、頑張って、書いたけれど~一行書いては涙があふれた一行読んでは涙が流れた。今日は母の法要でした。母の尊厳を失うまいと悲しい努力を繰り返しておりました。気遣って…気遣って…何も求めず、八十三で逝きました。満開の桜の花の散り頻るなか、愛を注いだ子達に見送られて・・・母を思うと・・涙がでます。母を思うと・・微笑がこぼれます。母を思うと・・その あまりの懐かしさに胸が熱く・痛みます。こうも出来たのではないか?これも、してあげられたのではないか…?そんな想いに、胸が熱くなります。心は誰にも 貸すことも 借りる事もできない、甘えて暮らしたら惨めな 心までも障害者になってしまう。失ったものを 数えるより 残された恵みに 感謝をしよう・・・時折り そう自分を励ましているせっかく、与えられたそれぞれの人生である。そのいつわりのない因縁を通して、死んでもはてしない悲願を燃やして、老いの深さをも、みつめたいものです・・・・