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カテゴリ:小説をめぐる冒険
開高健(1930~1989)
1958年『裸の王様』により芥川賞受賞。 60年代、ヴェトナムの戦場に赴き、その後 『輝ける闇』『夏の闇』を完成させる。 『玉、砕ける』で川端康成賞受賞。 ―――今日は祝祭男さんの敬愛する、小説家について教えて下さいっていうメールが何件か寄せられていますけれど。 祝祭男】 ああ、なるほど。その質問に答えようとすると、まず筆頭は、やっぱり開高健ということになるんだと思います。 ―――開高健ですか?ふうん。なんだかちっとも祝祭的ではないような気がしますけど。どちらかというと私的には、「陰鬱な社会派」という印象と、「豪放な行動家」というの二つのイメージがどっちつかずなんですけれどね。 祝祭男】 うん。今の指摘はとっても的を射ていると思います。 多分、開高健という作家はそういう「繊細さ」と「大胆さ」が絶妙なバランスで同居してしまった危うさってものを濃厚に持っている気がしますね。 ―――高校の国語便覧なんかに『裸の王様』って掲載されている太ったオッチャンですよね。メガネが顔に食い込んでるぞ、みたいな。 祝祭男】 おっしゃるとおりですね(笑) それについては、彼の面白い逸話があるんですが、 三十代頃から、何にも食べなくても、水しか飲まなくてもどんどん太っちゃう、って状態になったらしいんです。 で、こりゃ大変だっていうんで、世界の文学全集を片っ端から引っ張り出してきて、痩せた作家と太った作家と、どちらが傑作を多く書いているか、ってのを調べたっていうんですね。 ―――ふむふむ。そしたら? 祝祭男】 そしたら、まあ半々だった(笑)、ということでひと安心したらしいんですけれど(笑)。 ―――それはあれですね、大長編を書く作家は性欲が強くて、短編しか書かないのは淡泊だ、っていうような下世話な考え方となんか似てませんか? 祝祭男】 そんなもんですね。 そういうことを言うと、『失われた時を求めて』を書いたプルーストなんか、かなり凄いことになると思うんですけど、まあ実際どっちでもいいですよね。 ―――はい。 祝祭男】 で、ともかく開高健、ということなんですけれど。 ここ最近でも、『開高健・男、が、いた』(小学館)なんていう写真集みたいなものも出てますよね。去年に関して言えば『開高健の憂鬱』(文芸社)っていう病跡学みたいな本が出てます。それでも作品論っていうのは少ない。 ―――それは、なぜでしょう? 祝祭男】 そうですね…特に私なんかは、開高がヴェトナム戦争に取材に行った後の作品、いわゆる『闇三部作』、『輝ける闇』、『夏の闇』、『花終わる闇』、 なかでも、『夏の闇』がとりわけ好きなんですけれど、 これはもう、ヴェトナムの体験や、その後の倦怠みたいなものが、 ゆっくりと時間を懸けて「何年モノ」って言われるウィスキーみたいに熟成されて出てきているって感じがするんですよね。 『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』って村上春樹が書いてますけれど、『夏の闇』の文体、言葉の切れ味や、光沢みたいなものは、 もうウィスキーを越えて、一種の鉱物、宝石みたいなんです。 個人的にはそれに撃たれちゃうわけなんですけれど。 話を戻すと、そういう切り出された燦爛とする宝石をね、 批評しても野暮だぜ、ってみんな思うのかもしれないですよね。 能書きは良いから、味わえよって感じでね。 ―――ふうん、そういうものなんですかあ… 私としては「この作品のこの部分がどうだ」っていう話にも興味があるんですけれどね。 祝祭男】 そうですねえ、まず『玉、砕ける』っていう短編を読んでみたらどうですか? その中に、香港の男の性器を描写した箇所があるんですけれど、 まさに有無を言わさぬ感じですよ。 ―――えっ。なんだろそれ。じゃ、私も読んでみます。 それでは、また! 聞き手 祝祭男の恋人 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Mar 10, 2005 12:31:00 AM
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