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カテゴリ:日常をめぐる冒険
阪田寛夫詩集 ―――今朝、詩人の阪田寛夫さんが亡くなられたと聞きました。 祝祭男】 ええ、私も新聞を見て知りました。 ―――でも、残念なことに、私は阪田さんの詩をよく存じ上げません。 ただ、『さっちゃん』や、『ねこふんじゃった』の歌詞を書かれたのも阪田さんだったようです。 祝祭男】 ええ、そうだったんですってね。 でも、私はひとつだけ、とても心に残っている詩があるんです。 童謡の歌詞だということなんですが、歌として聴いたことはありません。 たぶん三年くらい前になると思うんですけれども、どういうわけか、その日、仕事の都合か、朝五時過ぎに起きていたんですね。 秋の入り口だったか、良く覚えていませんけれど、とても静かに澄んだ朝でした。 で、シャワーを浴びて出てきて、薄暗い部屋でテレビを付けたときに、ちょうどこの詩が朗読されていたんです。朗読していたのは女優の小西真奈美だったと思います。 『かぜのなかのおかあさん』 作詞者 阪田寛夫 作曲者 大中 恩 おかあさん おかあさん おかあさん としをとらないで かみがしろく ならないで いつでもいまの ままでいて わらっているかお はなみたい おかあさん おかあさん おかあさん ねつをださないで あたまもいたく ならないで どこかへもしも でかけても けがをしないで しなないで おかあさん おかあさん おかあさん はながさきました かぜもそっと ふきますね いつでもいまが このままで つづいてほしい おかあさん ―――へえ、いい詩ですね 祝祭男】 うん、私もそう思います。 ただ、正直な反応を言うと、このような詩を口ずさんでいる自分に対して、 『何いってやがんだい!』と思う瞬間がやっぱりありますよね。 この詩を発語しているのが、子供なのか、何なのか、それはよく判りません。 ともかく「おかあさん」の髪がまだ「しろく」なってない、という風に見ると、 子供かも知れないけれど、 まあ、そんなことはどっちだっていいかも知れませんけれど、 ちょっとこれは恥ずかしくて終わりまで読めないぜっ、 ていう気持ちもどこかにあるんです。 ―――なるほどね。 祝祭男】 日常的な感覚でいったら、これはおかしいぜ、というかね。 絶対に自分の母親に向けて朗読したりは出来ないな、というようなね。 そもそも、そんなの母親の方で受け取ってくれないだろう、 という風に思ったりするんですけれども、 でもこれは全ての人が「判る」詩なんじゃないか、って感じるんです。 ちょっと危険な言い方なんですけども。 要するに、日常的にも母親のことが気に掛かったりね、 そういうことはもちろんあるんですけれど、 これは観念の中、というか、心象風景の中の、 『非日常的な母への思慕』でね、 日常の舌の上では言葉を結ばない想いなんだけれど、 ほとんどの人の心の底に流れてる気持ちなんじゃないか、 と思うんですよね。 ―――うんうん、えらく持って回った言い方だと思いますけども、 言わんとするところは判る気がしますね。 祝祭男】 で、まあ、心のどこかにしまっておけばいいや、というかね。 出したら何か危ないぞ、っていうくらいに、 ちょっと『いい詩』なんだと思います。 ―――そうですね。しかも、ちょうど今の季節が目に映るようですね。 じゃ、今日はこのへんで。 それではまた! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Mar 23, 2005 12:25:45 AM
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