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祝祭男の恋人

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カテゴリ:小説をめぐる冒険

                     

 とにかく何もかも目茶苦茶にしてしまいたい。ぼくは自転車のペダルに自分の全体重を傾けると、無心を念じて漕ぎ出した。そして柔らかい尻一面に玄関先の砂利ども一粒一粒が鳴る奇妙なリズムを感じ取ると、たちまちぼくの腹筋は緩くとろけるように萎えてしまい、危うくぼくは泣きそうになる。寒かった。タイヤの空気がほとんど抜けていて、砂利どもの隙間にもう一つ不自然なリズムを紡ぎ始める。今の自分の無様な姿も、実家の玄関先から続く、向上心のない町並みも、ぼくには許せない。ぼくの頭の中では、この路地を折れると最初に建築中途で放棄された家屋が見えることも、発育不全で萎れた外国産の樹木だけを柵で囲った意味のない空き地が見えることも疑いのないことだった。ある日ぼくの愛する父が逞しく射精をして、それを受け止めた母親がぼくを産み落とし、またしばらくして産み落とされたぼくの妹が時を経て×××にされてしまい、それをきっかけに愛する父が★★★になってしまったこの町の地図ならば、ぼくは今すぐにでもそらで描ける。けれどもその地図にぼくの家はない。ぼくの幼い記憶の中で唯一、小学校で渡された学区の地図に自分の家を見つけられなかったことだけが消えてくれないのだった。いや、本当はちゃんと描いてあったのかも知れない。だが今のぼくならば、級友の赤鉛筆を奪い取り、大きな×印を描くまねはしない。ただ、退屈なだけで、色のないうんざりする町なのだった。

 路地を出て冬枯れの樹木に顔を背けながら通りを渡った向かい側には、本日十時開店と大きなのぼりを立てたパチンコ屋が建ち、降ろされたままのシャッターにもたれた数人の男たちが座って話し込んでいる。その並びには、飲食店が続き、人影はなく、半分ほど押し上げられたシャッターの下から濃く白い湯気が零れていた。朝日を背にして光の中から出てきた一組の男女が、腕を絡めてすれ違いざまに笑いあった。うるさすぎる、とぼくは思った。日曜日の朝だった。日曜日の朝、ぼくは自転車に股がりたまらなくむしゃくしゃしていた。目に見える全てのものに腹が立つ。この町が嫌いだ。この町の人間どもが嫌いだった。ぼくの額に柔らかい日差しが当たっている。それが歩道の脇に寄せ上げられた黒っぽい雪の塊を溶かしていた。ぼくは無心無心と心の中で唱えながらペダルに力を込める。久しぶりに走らせた自転車はぼくを見知らぬ人間のように邪険に扱い、ぼくの何から何までに反発するようだった。それさえも、いや何もかもが気に食わない。

 商店街が尽きるとぼくは更に加速する。ぼくの隣に私鉄の線路が並んで走っていた。高校のグラウンドが見えた。冷たい向かい風がぼくの頬を凍らせ、手袋をし忘れた両手は馬鹿みたいにハンドルを握り締めることしか思いつかない冷凍肉のようだった。胸倉をつかみ上げるような風に目が乾き見当違いの涙が溜まってくる。かじかんだ指でそれを拭いぼくは鼻先だけで少し笑った。やっぱりこの世界は微妙な勘違いをしている。そいつを幾つも幾つも上塗りしている。鋭く凍った針葉樹のような風がぼくを突き刺しながら抱きすくめる。尖った風がひりひりと痛む皮膚をくるみこみ、ぼくは自分が少しだけ生きているような気がするのだった。ぼくの若い、寒さに打ち込められ小さく固まった性器がそれでも熱く匂い立つように、ぼくは自分が少しだけ生きているのを感じる。けれども、ぼくのひび割れた皮膚が痛みを感じ取り、石のような性器に血液が充満するとき、生きているぼくの一部を見る代わりに死んでいるぼくの大部分までをも見てしまうのだった。そうだ、おまえは死んでいる。毎日、新しい一日が始まるたび、ぼくの性器は堅く盛り上がり、ぼくは死んでいる。何という屈辱だ、とおまえは悔し涙をこぼす。おまえが惨めで、その悲しみが黒目の一点にに極まり涙をこぼすときも、おまえは死んでいる。生きているのはその黒目だけだ。訳の分からぬ悲しみが凝縮されるほど、死に絶えた部分は増す。

 県道と国道の交叉する三叉の交差点に出た。目の前を大型トラクターやダンプカーが引っ切りなしに通っている。信号が赤でもないのにぼくはブレーキをかけ、その交差点の前で止まった。中央分離帯の錆びたガードレールに「死亡事故多発!」と書かれた立て看板が縛り付けられている。風に煽られて薄い鉄板がめくれ上がっているのが見えた。ぼくは何を思うわけでもなく、自分の感情を整理しかねた。交差点の向こうには大学病院のくすんだ建物がすでに見えていた。





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Last updated  Apr 12, 2005 02:20:28 AM
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