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テーマ:ささやかな幸せ(6741)
カテゴリ:verrariのお話
長らくご無沙汰しておりました。
心配してメッセージを下さった皆様ありがとうございます。 色々な出来事があり何もする気力がなく 自分は更年期障害なのか?(そんな歳でもないけど) うつ病なのか?と悩み続けすっきりしない毎日を送っておりました。 事の発端は義両親が帰国した後から。 義両親滞在中に多分がんばり過ぎてしまったのでしょうが、 燃え尽きたように無気力になり、「これではいけない!」と 栄養ドリンクを飲んだり自分を奮い立たせようとするも全く気力がなく 部屋は散らかり放題、洗濯物は溜まっていく一方だし それが原因で喧嘩が絶えませんでした。 元々掃除が苦手なくせに物が捨てれず物があふれ返った生活をしていた訳ですが 自分でも「これはひどい。」という自覚があるにもかかわらず体は動かない。 パパは私のことを怠け者と言うし自分でも「これは怠け病だよね。」って罪悪感を感じながらも 行動と結びつかない。 部屋を片付けられないだらしない自分への自己嫌悪、パパとの喧嘩、その他諸々により 「病院に行った方がいいのかな?でもこれを夏バテって言うんだよね。それともただの怠け病?」と 自問自答を繰り返しながらうつ病状態と戦ってました。 9月11日は私の誕生日だったんですが 未だかつて誕生日、クリスマスにパパから記憶に残るプレゼントをもらったことがありません。 てか誕生日自体忘れられてる。 何かしらもらったのかもしれないけどよく覚えていない。 一度分別できるプラスチック製のゴミ箱を誕生日だったかクリスマスプレゼントに もらった記憶はあるけどそのゴミ箱も全く使用されていない。 台所には置いてあるけどもその上にホットプレート、その上にホットサンドメーカー その他諸々が積み上げてあってゴミ箱のふたが開けれない状態で結局は場所を取ってるだけで 今は全く使われていない。 だからパパは私に何かあげても結局使わないからあげるだけ無駄だと言う。 このゴミ箱だって私が欲しくてお願いして買ってもらった物だと言うのに。 だから今年の誕生日も全く期待していませんでした。 誕生日の数日前、泉佐野にあるショッピングモールに行く用事があり パパはそこまで行くならりんくうにあるゲートタワーホテルでランチしようって言い ゲートタワーホテルの最上階にあるビュッフェに行きました。 料理を取ってきて席につくと ”Happy Birthday!"と言われパパが私の誕生日を覚えていたことに驚き もうすぐ私の誕生日だからここに連れて来てくれたのかと思うとうれしくなりました。 ジョウの後ろに見えるのは関空への連絡橋です。 この日はくもっていて関空がよく見えませんでした。 ↓ おいしいときのポーズ。 ↓ このランチがきっかけになりどうにかがんばろうって気持ちになり 少しづつ体が動くようになってきました。 体が動くと言っても箱・紙類を束ねるとかプラスチックゴミを袋に詰める という誰もが当たり前に出来ること。 そんな当たり前のことが出来ず台所の床には食料品のパッケージの箱やプラスチックゴミ (私が住んでる地域では袋類やトレーなど「プラ」というマークがついているもの、 「紙」のマークがついている紙類は資源ゴミとして分別して捨てます。)がばらばらに散らばってたり ビール缶、ワインのボトルが散乱状態。 多分それらを袋に詰めるのなんて5分もかからないと思う。 でもそれが出来ない。 でもガーデニングは大好きで1日中でもガーデニングをして過ごせるほど。 そして3日おき庭で咲き乱れる花を摘んで玄関とトイレに生けるのは欠かさない。 パパに言わせると花を生ける前に部屋を片付けろって私の行動が理解できない。 私は料理やお菓子作りは好きでそれはまめにこなしている。 パパに言わせると料理を作らずピザのオーダーでいいから 頼むから部屋を片付けてくれと料理を作って怒られる訳わかんない状態。 私にも自分で自分の行動が分からない。 パパが言うように私の"later"は"never"であることがほとんど。 もちろんきれいに片付いた部屋を見ると気持ちがいい。 でも散らかって物をまたいで床を探しながら歩くような生活も苦にならない。 当たり前のことが少しづつ、ほんの少しづつだけど出来るようになってきた。 「これは私が片付け方が分かってないからかも。」と片付けの本を買おうと思い ”片付け”で検索すると1冊の本のタイトルに目を奪われました。 「片づけられない女たち」 まさにこれだ!!とクリックしてみると それは片付け方を紹介した本ではなくADD(注意欠陥障害)に関する本でした。 あらすじを読んでまさにこれは私の症状だと思い ネットでADDについて調べてみるとまさに私のことを言ってるようで 自分自身整理がつかないことがどうしてここまで私のことをよく分かってるんだろうと正直怖くなりました。 でも自分自身の症状に病名がついてなんかほっとしました。 やっぱり私の脳には先天的に障害があったんだと。 そうなると気分がぐっと明るくなって病名が分かったら対策方法もあるはずだと、 今は本が到着するのを楽しみに待っています。 誕生日当日の朝、仕事帰りに(パパは夜勤)友達とモーニング食べて帰るから遅くなるって電話があり ”Happy Birthday!"の一言もなく 「あ~あ、やっぱり私の誕生日なんて完全に忘れてる。 この前のランチで誕生日祝いは終わりってことなんだろうな。」って思ってたら その後パパから駅まで迎えに来てと電話があり 駅まで行くとバラの花束を抱えたパパが。 パパはスーツを着て出勤しているので 黒のスーツに長身で大きな花束を抱えて立っているパパは遠目に(←ここがポイント) とてもカッコ良く見えました。 花束にはパパの自筆でカードがついていて "To my dear Verrari(実際は本名) Hope you have a lovely birthday. You're a great wife and mother. Love パパ(実際は本名)" と書かれていました。 よその家庭では誕生日に花をもらうのは当たり前のことかも知れませんが 私にとっては一生に一度あるかってぐらいの衝撃的な出来事で この数ヶ月のうつ状態がなんだったんだろう?とおもえるほど 心が軽くなりました。 この数ヶ月の間別居に近い状態の時期もありました。 別居と言ってもうちには車が一台しかないので 朝パパを駅に迎えに行って自宅で降ろしたら私はそのまま実家に行き 夜帰ってきてパパを駅に送って行くという生活をしているときもありました。 それもガソリン代がもったいないから車で行くなと言われて喧嘩になったり 金銭問題、次の子供の問題もあり(私は欲しいけどパパはいらないと言う) これだけお互いにストレスを抱えて暮らすなら離婚した方がいいのかと葛藤の日々でした。 単純な私はこの花束で全てが水に流されたというか パパと結婚して良かったと思えました。 ADDの症状でもある”物忘れ” 私にはこれが長点でもあります。 過去のことを執念深く根にもつことなく嫌なこともすぐに忘れてしまいます。 忘れるからこそ過去が教訓にならず同じことを繰り返して同じ嫌な思いを何度もするって いう欠点な部分もありますが この”物忘れ”においては嫌なことをすぐに忘れて前向きになれるっていう利点の方が大きいよね。 あと、ジョウにとってはよくないことだけど どれだけジョウがおもちゃを散らかそうが、それをそのままにしておいても全くストレスにならない。 だから他の人が子供が部屋を散らかして片付けないのがストレスになるって言ってるのを聞くと 私はその分のストレスがない分ラッキーなのかななんて思ったり。 花束の写真を撮ろうとすると写真に入ってくるジョウ。 私の誕生日だからってことでジョウにもスニッカーズだかそんな類のお菓子のお土産。 普段なら怒るとこだけど大目に見ちゃいました。 ↓ ジョウは自分がもらったのだと思って喜んでました。 ジョウも恋人、妻の誕生日には花を忘れない男の人に育ってくれたらいいな。 ↓ ~おまけ~ パパのめがねをかけるジョウ。 ↓ シャンプーハットをかぶるジョウ。 嫌がるので本来の役割で使われたことはありませんが・・・ ↓ 上の写真と同じ日に撮った写真。 シャンプーハットがある、ないで別人のように人相が違います(笑) ↓ まだまだ本調子ではありませんが 本が届いたら私自身の改善をがんばろうと思います。 私が死なない限り連絡なしにこのHPを閉鎖することはありませんので また更新が途絶えても気長に見守っていて下さいね。 育児サークルで仲良くして頂いてる方へ いつも温かく見守っていてくれてありがとう。 もっと詳しいお話は育児サークルの方でします。 まきちゃんへ 心配して何度もメールをもらっておきながらお返事してなくてごめんなさい。 近々メールします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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