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March 13, 2021
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先日観た映画「新解釈 三國志」の余韻、その2。
家にある本で、三国志の時代を探してみたら、「孫子の兵法」の中にいくつか見つけた。

例えば曹操(映画では小栗旬)について、こんなことが書いてありました。
・曹操は自ら孫子を研究して注釈書まで残し、彼の用兵も、孫子の兵法にかなっていたと評されている。

・群雄割拠の争覇戦に勝ち抜いて魏王朝の基をきずいた曹操。軍事的才能だけでなく、領内に屯田を興して食糧の増産を図り、成果を収めていた。十分な軍糧の確保が曹操の勢力拡大に貢献したもう一つの原因である。(あらかじめ勝利する態勢を整えてから戦う者が勝利を収める)

・西暦198年、曹操は南陽郡に割拠していた長繍の討伐に乗り出し、穣城を包囲したが激しい抵抗に遭う。引き上げを決意するも撤退は困難を極めた。曹操は軍をまとめて山中の小道に逃げ込み、伏兵を置いて敵を誘い込んだ。全軍を挙げて攻め寄せてきた敵は返り討ちに遭って敗走し、曹操は無事都に帰還することができた。(兵士を死地に置けば、死力を尽くさせることができる)

・「赤壁の戦い」(西暦208年)。常勝の曹操が大敗北を喫した。北中国に覇権を確立した曹操は、南征の軍を興して江東に割拠する孫権(映画では岡田健史)に戦いを挑んだ。長江を下る曹操の大艦隊は兵力24~25万。迎え撃つ孫権の兵は合流した劉備(映画では大泉洋)の軍と合わせても5万。しかし孫権軍の黄蓋(映画では矢本悠馬)は敵艦隊の船の扱いが不慣れな様子を見て、焼き討ちの計を孫権に進言。周瑜(映画では賀来賢人)が焼き討ちの準備を進める間、黄蓋は曹操に降伏を申し入れる書状を送った。劉備の軍師・諸葛孔明(映画ではムロツヨシ)は追い風を天に祈った。翌朝、追い風に乗った黄蓋の艦隊が曹操軍に近づき、火を放ち、曹操軍は敗走した。

…なるほど。また少しだけ歴史に詳しくなれたかもしれない(笑)







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Last updated  March 13, 2021 05:52:21 PM
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