長く書棚に眠っていた「7つの習慣」に目が止まり、久しぶりにページをめくり始めた。そこそこ分厚い本の巻末を見ると「1996年12月25日初版第1刷発行。2007年10月25日初版第56刷発行」と書いてあるから、おそらく15年振りくらいの再読になる。
オレンジ色の帯に「永遠の人間学」とあるこの本を、当時の僕は何を思って手に取り、買ったのだろうか…。きっと何かに悩んでいてこの本にすがりたかった、そんな気はするけどまったく覚えていない。
ただ僕の残念な性格から察するに、当時は自分にとって都合の良いところだけを拾い読みし、「大丈夫、俺はできてる」とか呟きながら満足して、この本を読み終えたつもりになっていた可能性が高い。
だから今回は、著者の意図を時間がかかってもきちんと理解してみたいと思った。
目次を見ると、“極めて有能な人たち”の「7つの習慣」とは…
①主体性を発揮する
②目的を持って始める
③重要事項を優先する
④Win Winを考える
⑤理解してから理解される
⑥相乗効果を発揮する
⑦刃を研ぐ
となっている。
なんのことやら…。一度読んでいるはずなのにどの項目も言わんとすることがわからない。
ちゃんと読み通せるかな…と少し弱気になりつつも、まずは「第一の習慣」を読んだ。
【第一の習慣「主体性を発揮する」】
(以下、勝手な要約)
・例えば、大バカ野郎のせいでどうしようもない事態に陥ったとする。この時、僕はどうすべきか。
・①大バカ野郎に復讐する。②大バカ野郎にバカを自覚させ少しでもバカを治してやる。③大バカ野郎には構わず、この事態を自分で何とかする。④ひたすら神に祈る。
・さて、どれか正解だろうか。
・①〜④を同時並行でやって事態をなんとか乗り切らないといけないのではないか。少なくとも張本人には何か言ってやらないと気が収まらない…と僕なら考えるが、著者は「大バカ野郎のせいでどうしようもない事態に陥った」との認識がそもそも間違っている、と言う。
・自分にはどうしようもない事態に陥っているかどうかは自分が主体的に決めていることだ。「AのせいでBになった」のではなく「AのせいでBになったと自分が感じている」に過ぎず、自分の考え方次第でBはCにもDにもなる。つまり「B」は「A」の結果ではなく、「A」と「B」の間に「自分の主体性」がある。
・だから大バカ野郎に腹を立てても解決にはならないし、そもそも他人を変えようとしてもそれはムリ。変えるべきは自分の認識。「どうしようもない…」と感じる状況に置かれても、そこで自分が主体的に取り組めることは何かある。それを見つけてその部分にエネルギーを集中すべき。
・自分がコントロールが及ぶ範囲を少しずつでも広げていくことで、自分の力で「B」を「C」に変えていくことができる。
・その一方で、他人を自分の思い通りに変えようとすることを含めて、自分のコントロールが及ばないことは諦めて受け入れた方が良い。淡々と受け入れることで心の平安を守れるのであれば、その選択は正解だ。
自分のフィルターを通すとこんなサマリーになってしまうけど、このくらいまで崩してみても【第一の習慣】を自分のものにすることはものすごく難しい、ハードルが高い、僕はそこまで立派な人ではない、と感じてしまう。
一方で、こんな人になれたらそれはそれで良いことに違いない、と思っていることも確か。
まずは今の気持ちを頭の片隅に置きながら【第二の習慣】に読み進んでみようと思う。