カテゴリ:本
アイはシリアで生まれ、アメリカに住む米国人と日本人の裕福な夫婦の養子になり、小学6年生の時に父親の転勤で日本に移り、東京で暮らし始める。 アイは日本の中学生として、日本の高校生として、日本の大学生として、他愛もない学生生活をみんなと一緒に送りたいと願うけど、彼女のくっきりとした目鼻立ちや周りの同級生たちとは違う姿かたちが陰に陽に壁になる。 みんなと同じようになりたい。目立ちたくない。 そう願っても、そうはならない。 努力しても本当の日本人とは認められないアイ。シリア人だけどシリアの記憶も両親の記憶もないアイ。アメリカで裕福な子供時代を過ごしたけど、実はたまたまそこに貰われてきただけのアイ。 自分はどこにいるんだろう。とアイは思う。 「この世界にアイは存在しない」 ずっと、この言葉がアイの胸に刺さり続ける…。 これはおそらく、「i」の物語全体からみると一部分に過ぎないのだろうと思うけど、僕にはすごく響いた。 日本で暮らしていると、学校名とか学歴とか職業とか、僕たちはそういうことで細かく人を区別したり差別したりしているけど、ひとたび外国で暮らし始めると、それは何かの会員組織にでも属さない限りほとんどどうでも良い話になり、自分で選んだ訳でもない「日本人」という国籍と「東洋人」という見た目が、何よりも先に自分のアイデンティティになってしまう。 この町の一人として空気のように暮らしたくても、僕は良くも悪くもこの町に来たアジア人として扱われる。そういう存在にしかなれない。人の集まる場所で、という但し書き付きで、大げさに僕に親愛の情を寄せてくれるその土地の偉い人もいれば、コンビニやファストフード、郵便局などローカルのお店では、しばしばあからさまに邪見に扱われる。 僕=日本人、僕=東洋人という事実と常に向き合う毎日。 僕がアメリカで暮らしたのはたった一年だけだったけど、外国から日本を見ると、コンプレックスとプライドが入り混じった卑屈で屈折した人たちが密集して排他的に暮らす小島。そんな風にしか見えなくて、とてもじゃないけど、僕=日本人の扱いは耐え難かった。 かと言って、アメリカ社会の一員になれているわけでもない。 いったい僕は誰なんだろう…。 そんなことを考えていた遠い日々を、「i」を読みながら僕は思い起こしていた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
June 25, 2021 09:29:58 PM
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