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カテゴリ:自分史・仕事
先日の日記に書いたとおり、経理のKさんが先週の金曜日で去り、経理業務をすべて引き継いだ。 どうやら彼女は来月頭から会計事務所の社員(CPAではないが)として働くことが決まったといっていた。そのポジションの面接のときに、彼女のレジメ(履歴書)をみた社長は「これも、これもやったの?」と驚きのようすで、すぐに採用が決まったとKさんは言っていた。 産休の経理代わりとしてKさんが働きはじめた当初は、「この仕事が終わるときには次につながるレジメを作ろう」と話をしていた。結果的にはそのとおりになって、うちの経験が生かせたことは本当に喜ばしく、今後もキャリアーをのばせるようにがんばってほしいと願いたい。 ■ お粗末な仕事内容を本人に指摘すべきか? ただ、Kさんのお粗末な仕事内容や姿勢に納得できなかった僕は、彼女が辞める前に指摘すべきかどうか正直迷った。派遣社員の人に責任感やレベルの高い仕事を求める僕が間違っているのかもしれない。
結局のところ、後者を選んだ。せっかくKさんとであったのだから、指摘できることは指摘しておいて、Kさんがよりよい人生をあゆんでもらいたい。言わないよりはマシだと思った。 ■ コミニュケーション能力は影響力 僕が人とコミニュケーションするときに注意することは、それがポジティブな影響力を人に与えているかということだ。人にポジティブな影響力を与えられる人こそ、人としての存在意義が際立つはず。人にいい影響力を与えられる人。僕はそんな人を目指したい。 怒ったり、喧嘩したりするのは、「相手の行動・考え方・言動」に相違に対して、正そうと影響力を与えようとする方法の一種だ。結婚した夫婦喧嘩したり、上司が部下を怒鳴りつけたりするのもそうだ。ただ、このてのコミニュケーション僕は嫌いだ。 多くの人は「どの行動・考え方・言動に対してこの人は怒っているのか」と考えられず、傷つくいたりストレスが溜まったりするからだ。また、その指摘が正しければ正しいほど、人は傷ついたりもする。 したがって、僕は「正しいことを言うときには控えめに言う」という原則を守ることにする。いくら自分が100%正しく、論理的に自分の考えが正しいと相手に伝えられたとしても、相手が納得し(影響され)なければ、そのコミニュケーションは無意味になってしまう。だからこそ、正しいことを言うときには控えめに言う。 僕はKさんにかなり言葉を選らんで(僕が思う)正しいことを指摘した。苦労しないように僕のアドバイスがいきるように願います。
P.S. Kさんが去って、彼女の負の遺産(処理ミス)の後処理を引き継いで、やっぱり改めてひどい仕事内容に頭にきたりします。やっぱり、もうちょっときつく言っておいたほうが良かったのかと思ったりもしますが。。。
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Last updated
2005.11.22 16:26:52
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