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カテゴリ:子供たちとの時間
タイトルに懇談、と書いたが、これはこちらでペアレント・カンファレンスと呼ばれているもの。いつもよりクラスが短縮時間になって、担任の先生と親が向き合って子供の学校での振る舞いや学力の成長などを話し合う。
といっても小梅は保育園生。15分の時間でも余るに違いないと思っていた。学力の進歩ったってたいしたことではあるまいし。 先生は開口一番、小梅がよくできる子だと言い出した。 ああよかった、ノーマルに進歩してますね、と応じた私に いえ、ノーマル以上の出来です。保育園レベルでhonored student (というの?正確には聞き取れてない)があるとしたら ここでは小梅がそうです。 ...ヘッ? 最初にチラっと頭に浮かんだのが、 先生みんなを喜ばせるために おんなじことを3ー4人の親には言ってるんではなかろうか、だった。(笑)で、どの親御さんも「ウーン、さすがうちの子は違う!」 と悦にひたっていると。(爆) そしてどこまでも日本人の性格を引きずっている私は、ニタニタと相好をくずすようなこともなく、もしかしたら3カ国の言葉と文化を教えられているからかも知れませんね と微笑みを混ぜて答えておいた。小梅の脳が いつもその分働いているのかも。 本人はといえば、近頃父親がいないので ずいぶんな態度を母親にとり、叱られ通しなんだけど。それで 懇談の席で先生に言うからね、と脅かしておいたら マミーちゃん、Mrs.○○には こうめがわるいこだって いわないでー、 だと。(笑) 御褒美に、その事は先生には伏せておいた。 小梅はほっとしたらしい。(笑) 懇談はなぜか時間を20分ほど超過して、 話すことがたくさんあった。 一人の保育園児に対して35分の懇談というのは、とても手厚いケアのように感じられた。 小梅はいたって普通の子だし、理解のレベルが幼稚園児程度だというくらいの進歩だから、あまり期待をかけてはいけないように感じる。 どんな親でも、自分の子が天才なら...とか、ひょっとして!? なんて思うことがあるかも知れないが(そうならいいなあ という思いも込めて)、現実の天才レベルというのは 幼い頃から際立ってそうとわかるものだ。 小梅のクラスメートのケリーちゃんなんて もう自分で本が読める、と小梅が言っていた。 小梅、できる? できなあい。むずかしいい。 近くの公共図書館の児童コーナーで見た ちいちゃな女の子は、一人で絵本を読み上げていた。 いくつですか? お母さんにそう尋ねたら、 3才と返ってきた。3才でもう読めるの? ええ、この子は2才の時から自分で読み始めたの。 ワオ。 こういうのが天才レベルなんだろう、きっと。 ほんとうはね。一人一人のこどもたちに、未知の良いもの、賢明なものが潜んでいる。どんなに凡庸に見える子だって。そんな子供たちひとりひとりの価値を思うと、うちの子が他の子よりどうなんて比べることが意味なく思えてくる。 弟の伊織は今朝の懇談の後、まだ保育園に参加していたくて、遊びたくって しかたなかった。 ...しかたない。 小梅のクラスが終わるまで1時間以上、寒風の吹く中 保育園のプレイグラウンドではしゃぐ伊織につきあった。 ここしばらく親の都合にばかり つきあわせていたから、ごめんね。(でも寒かったよお。) こんなふうに、ニコニコ笑顔で成長してくれたらいい。とてもいい。 あいしてるよー! I love you! 唇にチュッとBacio(キス)しながらそう言ってくれるだけで、この子たちの存在の尊さを感じる。 どのお父さん、お母さんにとっても きっと同じ思いなんだろうなあ。 神様、ありがとう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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