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カテゴリ:子供たちとの時間
伊織が3才の誕生日を迎えた日、本当は夫に会っちゃいけないんだけど(子供に会う権利はあるものの、DV被害者の私には どんなコンタクトもとらないこと、となっている)やっぱり家族4人で 夕方におちあった。
久しぶりに見た夫は、顔には若干肉が着いたような感じで(食生活が乱れていそうだな)、白髪が更に進んだなあ...sciupato mentalmente,ma non fisicamente といった様子だった。 ...会話の内容は 書かないでおこう... ちょっと出口が見えないような展開だし。 そんな落着かない日を過ごした直後に限って、 DCFのスタッフが家を訪れて来たりする。 何か変わったことは? いえ、特には。忙しくしてるだけです。 さりげなく 小梅の風邪の様子まで クンクン鼻を鳴らして探られている感じで、子供が風邪を引いたと言ってしまったことさえ 口にしてまずかったかなあと思ってしまう。 夫とは連絡が取れたんですか? とこちらからDCFのスタッフに訊ねると、意外な答えが返ってきた。 彼はDCFと連絡を取ることを拒否しています。コラボレーションしていません。 ...アホー! 逃げて済む問題じゃないだろー! 却ってネガティブに取られるだけじゃないか。 内心 ハンカチをキリキリ握り締めるような心境だ。 とはいえ、私にはどうすることもできない。 当事者はあくまで彼自身。 家族を巻き込んでいる点が辛いが、裏を返せば かけがえのない家族はまだ、彼の側にいる。 守れるギリギリのところまで、やってみるかというのが私の考えだ。 ちなみに、どうやったら守れるかは定かではない。(涙) 決意はあっても戦略はなさそうだな。 未解決の一件はさておき。 今日は伊織、保育園のスクリーニングというのに行ってきた。 3才児の成長を調べて、身体的・精神的な健常や遅滞などを判断するものらしい。 そこは地元の町で唯一の公立の保育園で 小梅が2年通っている所なのだが、special education というのを請け負っている保育園でもある。実際クラスの30-40%ほどが、何かしら成長過程で遅滞や異常が見られる子どもで、保母さんたちもそれに応じた教え方を修得しているようだ。 小梅のクラスも そういう おともだちたちは割に多くいる。そして小梅自身は何の抵抗もなく、みんないっしょにクラスで過ごすことを楽しんでいる。 いいことだなあと思う。 毎回小梅を保育園に連れて行く度、伊織はジタバタ身をよじらせて、いおりもプリスクールいきたあい、いきたあい とごねる。 今はまだ、駄目だって。ちゃんとピピとポポがトイレットで出来るようになったらね。できるかなあ? なんて振るものの、まだウンチの方はトレーニングパンツの中で失礼、という状況だし、おしっこの方はフルチン状態で家の中を駆け回ってるし。(笑) スクリーニングは朝の9時。うう、早い。 伊織、プリスクール行こうねえ。明日は伊織のための学校だよ! 早く起きようね! いい子だ。早く起きた。...というか、私が6時台に早起きしてお風呂に入るなり、 まみいいい!ビッグハーグ! と大声で追ってきた。 いおりもキレイキレイするう! 仕方ないから、 自分の身体を洗ってすぐに伊織もきれいに洗ってあげた。 ラベンダーの香りがふんわりして、おお、カーワイイ。(親バカ) それに反して、小梅よ。 やめてくれない? 7時40分まで(2回声を掛けたというのに)グースカ眠るの。 8時半の出発に間に合うかどうか、ヤキモキしてしまったわ。 で、予想通り スクリーニングの時間じゅう、本人は楽しく楽しく過ごした様子。 終わった時点で かえるのいやだあ とごねられるのを避けるべく、 さあ、公園に行こうね! 誰が行きたいのかなあ? と別のおたのしみオファーをした。 ...ここでも、やめてくれない? 小梅よ。 急にブスっとなって 小梅いかなあい、なんて言うの。(水を飲ませろ、喉が渇いたと運転中に言うもんだから、公園に着くまで待ってと返事したらフクれたのだ) それでも、結構風が吹いて寒い中、1時間ほど遊んでうちに帰った。 で、ご飯を炊いて 塩鮭を焼き、味噌汁をこしらえ、納豆を用意して ほうれん草のおひたし、アスパラガスもゆでて さあ食べようよ! という時には... 伊織はコッテンと大の字で眠っていた。(笑) かわいい奴め。 午後は雨がシトシト降って、朝のうちに公園で遊んどいてよかったねえ、なんて小梅に話しかけた。 明日は別の小さな公園で イースターのエッグハンティングがあると知り、急きょ行くことにした。 2年ほど前だったか、家族4人で行ったのだ。始めー!の合図から2分くらいで、公園のアチコチにばらまかれたプラスティックの卵たち(中にお菓子やちょっとしたオモチャが入っていたりする)は完璧に姿を消す。 5分遅れて参加したら一つも手に入らないだろう(笑) と いうわけで。 また早起きしないとね。 そう言って子供たちを寝かしつけた。 私も寝ないと。 家庭の状況は決して易しいものではないけれど。 なんだか私は しあわせだなあ、なんて感じている。 毎日の子育ての中で。 こんなに人生の中で これほど豊かな時は他にないような気がして、このパタパタしたひとときが愛しくてしょうがない。 いつでも、どこにでも、どんな状況にも しあわせは ある、ということなのかも知れない。 心の目が開いていれば、感じ取れるものなのかも。 苦しくて心の目が塞がっている時は... 神様が救いの手を差し伸べずにいられなくなるまで、 弱くなって苦しむのが、いい。人の目に良く映らなくても、神様の目にはそれが善いことのように思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006.04.08 12:39:31
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