担任からの電話に対して
先週、中国へ行っている間、ルナの担任から電話があった、と聞いていた。でも、こちらからは、折り返さずに居た。今日、電話があり、”6年生も引き続き担任です。”と言われた。そして、次に、”児童達が、運動会を目前にして(今年は特別に5月に行われる)、ルナに参加するように働きかけたい、訪問してもいいですか?と聞かれたけれど、どう答えたら良いか?”という話が出てきた。これについて、少し補足しよう。1.医者は、子供たちの自然な行動に、大人達はコントロールしない事、と言われた。 (深い意味があります。)2.この指導を元に、2月の時点で、担任に対して、”子供たちの行動は、子供たちの判断に任せて欲しい”と依頼し、担任は了解していた。であるのに、今日、このような話が出てきた事は、私にとって心外だった。何故心外か、というのは、1.担任は、児童から質問を受けた時に、”自分に確認の必要が無い”と答えず、”ちょっと待ってください”と言った、それは、子供の意思に対してのコントロールの意味である。2月の約束が守られていない。2.子供たちが、そのような確認を取るのは、過去に、担任がコントロールしたからであるし(し続けているからでもあるし)、担任も自分がそういうコントロールする立場であると認識している。私は、昨年の9月以来、何故、何故を繰り返し考えてきた。考えるだけではなく、学校に対しても、行動も取った。担任はもちろんの事、校長を始め、教頭と話し合った。その中で、見えてきた事がいくつかあるが、その内のひとつは、学校の教師による”コントロール”の問題である。”枠の中にはめる事を良し、という価値であり、子供が持っている能力を、潰している”事を感じた。学校へ行くためには、枠に入らなきゃ、いけない。世の中で、いろいろな理由で不登校は発生していると思うが、このような価値観が、登校への弊害になっているケースは多いのではないか、と思う。特に、小学校の場合、担任の考えている”枠”に入らなければならない。しかし、その枠は、普遍的なものではなく、ある時、首をかしげるような事が、教室という密室で繰り広げらている、というのが、私の感想だ。規律を守る事は大事で、未熟な児童たちに対して、指導しなければならない、これに異論はない。けれど、それ以外の範囲で、教師は、児童の上司では無くて、権限を持たない、というポジションである、と考えるが、実際、教師は”自分の責任と権限”を誤解しているようで、児童に対して、全ての面で威圧的である。ルナが行かない理由とは関係なく、もし、私が現代の小学生なら、到底、行かれないな、という感想を持った。だから、最近は、不登校について、”そうだな、あんな環境は辛いよね”と内心思っているのは事実だった。今日は、私の虫の居所が悪かった、というべきだろうか?私は、とうとう、担任に、この話をしてしまった。vivien あなたには、放課後、子供たちがどうしようと、関係が無いのに、どうして、”ちょっと待って”ですか? あなたは、どうして、そのように、子供たちをコントロールしようとするのですか? 何故、約束が守れないのですか? あなたは、このような権限を持っていないのに、何故、このような事をする? あなたは、自分のポジションを誤解しています。 あなたのそういう行動が、どれだけ、子供達を潰しているか? あなたは、ずっと、いろいろな問題を起こしているんですよ。 だから、遠回りに、何度か、私は話しました。 でも、今日も、未だ、改善されていない。担任は言い訳を繰り返したが、それは、私に対して、難しい。最後に、vivien 担任が変わることを希望します。あなたは、自分から志願すべきです。と言って、電話を終えた。**************************子供の”ありのままに”を受け入れ、見守る。それが、将来を背負う子供への大人たちの役割である。実践は、難しいけれど、この話を繰り返し、自分に言い聞かせている。**************************さて、それで、次はどうなる?教育委員会ですか?私は、政治家じゃない。文部科学大臣じゃない。総理大臣じゃない。 教育の現場を変える事は、出来ない事は解っている。負ける喧嘩をしないのが、私の主義だったんだけどな。チャンが聞いたら、笑うだろうな。