実際どうだったのかね?
一昨日の夜、習志野文化ホールで開催された、千葉フィルハーモニー管弦楽団第25回演奏会に参加したわけだが、なんというか、実際どうだったのかよくわからないというのが正直な感想だ。前プロの、ムソルグスキーの「ボリス・ゴドノフ」は、ストコフスキーが“交響的合成”として編曲したものである。いかにもレコーディング向けと思われるオーケストレーションで、CDの自編自演を聴く限りたしかにすごい効果があるんだけど、ライブでの効果のほどは、舞台上で感じることができなかったし、チャイコフスキー:1812年 / ストコフスキー※実はこれ、うっかり二重発注しちゃって我が家に2枚あります(汗)メインのストラヴィンスキー作曲「火の鳥」全曲版にしても、ストラヴィンスキー:バレエ音楽≪火の鳥≫全曲「良いとこ取り」の組曲版と違い、地味な箇所・・・・つまり「ここはバレリーナが舞台にいてこそ面白い所なんだろうな」って思ってしまうシーンがけっこうあるわけ。で、指揮者の金子先生という人は、たぶんそういうのを面白く聴かせてしまう能力は相当高いので、私らは、指揮者を信頼して「客席ではきっと面白く聴こえている」そう信じて全力を尽くすしかないというプログラムだったと思う。で、私も自分にできる精一杯の準備をし、また、当日のパフォーマンスに全力投球したことだけは確かである。そして、団員の皆さんも・・・こんな難しい曲良く弾くよね。あらためて千葉のオケってレベル高いなと感心してしまった。舞台袖の雑談や、打上げで飲みながら私は正直に、毎日夜遅くまで練習したって話をみんなにするわけ。それを言うと、けっこうみんな驚くんだよね。で、なかなかそこまでは練習できないなって言うんだよ。でも、みんな本番ではちゃんと弾いてるジャン?そうだった。千葉県って私みたいなレイトスターター率が低いのよ。いわゆる「未来部」年代に身につけたものだから、そこまでガツガツ練習しなくてもそこそこ出来ちゃうらしい。う~、ちょっと羨ましいかも?でもね、とことん練習することでしか力を発揮できない道を選んだのは、ほかならぬ自分自身だからね。いやなら、大学オケ入学の段階でクラを続けてりゃよかったのだ。今だってピアノの演奏については、長いブランクを経たけれど、ヴァイオリンより短い時間の練習でそこそこ手応えを感じるもんね。だから、この際とことんやってやろうじゃないの・・・命がけで。なんて書くと、どうしても過激な感じになっちゃうけど、誰にだって「これだけは譲れない」ってものはあるでしょ?これで寿命縮めやってるようなぁ・・・みたいな。映画&漫画「デスノート」に「死神の目」ってのがあるじゃない。手に入れるためには、寿命の半分を死神に渡すっていうやつ。あれって、人間にとっての「譲れないもの」の象徴なんじゃないかって思うわけ。私にとっての「死神の目」は「ヴァイオリンの上達」であると・・・というわけで、演奏会レポとしては甚だ中途半端な日記になってしまった。