カテゴリ:祖母のこと
昨日は、たくさんのコメントや、私信へのお悔やみありがとうございました。
祖母は、本当に幸せだったのだろうなと思いました。 穏やかな、優しい、美しい笑顔で旅立ちました。 祖母の葬儀を本日、執り行ったのですが、今の時代、ネットという素晴らしい環境があるもので、 祖母に、担任をしてもらってた、英語を習った、師範学校時代の後輩だった、一緒に働いた、中には親子二代習ったのですよ、なんて方もいらして・・・話を聞いてると、メールで連絡が入った、って人が多くて。 祖母の人柄だったのだろうなって改めて思いました。 祖母は、波乱万丈で100年も生きてきたので、楽しい事もあったかもしれないけど、苦労も多かったのだから、新しい旅立ちには綺麗にして、と、祖母の持ってた着物の中でも一番いい黒留袖を着せて旅立たせました。いつか来る、この日のために、母は祖母の黒留袖を、洗い張りして、準備していたそうです。 見送る母はこれまた穏やかな顔をしていました。悲しいとか辛いというものを超越したように思えました。 まだ元気な頃、湿っぽい葬式はイヤだ、ニギヤカに送り出してほしいと言っていたました。 お経が終わってから、祖母の好きだった邦楽のテープをかけ、静かに送り出すという事とは全く異なり、出棺の時、兄の二人の子とうちの娘の三人で、突然アンパンマンのテーマ曲を声高に歌い始めたのです。 今までは、娘がアンパンマンを見るとき、聞き流してたアンパンマンのオープニングテーマでしたが、その歌詞の内容を聞いてると、祖母の生きてきた軌跡を歌ってるように聞こえました。最初は子供三人の合唱でしたが、次第に弔問客の方々も歌いだされ始めて、最後は大合唱になってました。 全て終わって、帰宅してから、バアチャンの人生は、苦労もあったろうけど、いい人生だった、って今頃言ってるのかもねぇって話したのです。 葬儀の始まる前、祖母の教え子という方、数名から話を聞きました。祖母は英語の教員だったのですが、その教え子さんがどうしても英語が苦手で、このままでは英語だけが他の科目より点数がかなり悪い、これでは進学に影響すると判断した祖母は、自宅にそうした生徒さんを放課後、数名招き、夕食を共にし、招いた時点から一切、日本語禁止で英語を教えてもらったとか、また時には、生徒さんの親御さんが寝込んでると聞いたら、お粥を炊いて持って行って看病してくれたとか、家で孫に見せてた顔とは異なる祖母の一面でした。 60歳で定年になって、その後20年間、学習塾の教員を勤め、その後5年間は自宅で高齢者相手の英会話教室のような人生相談室のような教室を行い、85の年に老人ホーム見学ツアーなどと称して一人であちらこちらのホームを見学して歩き、最初に入ったホームが昨年、経営者が変わって、その頃に体調を崩して、入院し、そのホームを出て、今年初めに有料老人ホームに入居し、口癖は、「あんたらの世話にならないように生きてるんだ、だけど、葬式と後処理だけは世話になるわ」でした。 祖父との結婚生活は、わずか2年ほどで軍人だった祖父の出征・戦死という形で終焉を向かえ、その後の再婚話にも耳を貸さず・・・ これも、今日、祖母の師範学校の2年後輩という方から聞いたのですが、当時、祖母は、再婚なんてしない、旦那さんの葬式を二度も出すのはゴメンだわ、葬式って疲れるのよ、頭下げてばっかしでって笑い飛ばしてたそうです。 明日からが、色々な手続きがたくさんあるようです。 私は、とんとわからないけど、姉が殆どやってくれるらしい。。。。って言うのも、生前、祖母は姉の友人の弁護士さんを施設に呼んで、遺言書の作成やら没後の様々な手配を姉と弁護士さんに全て依頼してたそうです。 役所やら、銀行やら、生命保険やら、郵便局やら、姉が書き出してましたが、けっこうあるものです。 仮通夜、本通夜と二晩、徹夜で起きてた姉がダウンしないか気になって、近所の薬局まで行って、ドリンク剤とビタミン剤の瓶入りを買って来たら、姉が、 「私は、今からドリンクの販売でも始めるか?」って。 みんな考えることは一緒で、ドリンク一杯。ビタミン剤も3本もあった。 結婚式ではいいお式でした、っていう事、よくありますけど、今まで、親戚の葬儀も何度も言って、知人・友人の関係のお葬式も何度も行ったけど、今回の祖母のお葬式は、身内が言うのも変だけど、本当にいいお葬式だったと思いました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[祖母のこと] カテゴリの最新記事
|