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カテゴリ:テレビ・映画
今日の日本テレビ『金曜ロードショー』は、『火垂るの墓』でした。
『火垂るの墓』は、野坂昭如さんの同名小説を高畑勲監督が映画化した戦争アニメです。 戦時中の日本を舞台に、両親を亡くした幼いふたりの兄妹(清太と節子)が懸命に生きる姿を 描いています。って説明はいらないくらい有名な作品ですね。(笑) DVD 火垂るの墓 原作本 アメリカひじき改版 この作品は何度も見ていますが、今回は冒頭の清太が三ノ宮駅構内で衰弱死するシーンを 観ただけで気分が滅入ってしまって最後まで観られませんでした。 なぜだか無性に腹が立って、悲しくなってしまいました。 「大人なんか、嫌いだ!」 確か、この作品は8月の終戦記念日頃に放送されていたのに、なんでこんな時期に放送 なのかなと思い検索してみたら、9月21日は清太の命日なんですね、、、。 wikipedia-火垂るの墓によると、 この作品は毎年放送されているイメージがあったのですが、放送は二年に一度でした。 毎年8月の終戦記念日前後に放送するのが定番になっていますが、その時に放送できない 場合は、清太の命日か節子の命日である8月22日にも放送されていたのでした。 また、高畑監督がこの作品について述べている↓を読んで、心にずしりときました。 アニメージュ1988年5月号に掲載されたインタビューからの抜粋の抜粋です。 清太と節子は”家庭生活”には成功するけれど、”社会生活”に失敗するんですね。 いや、失敗するのじゃなくて、徹底して社会生活を拒否するわけです。 周りの大人達は冷たかったかもしれない。 しかし、清太の方も人とのつながりを積極的に求めるどころか、 次々とその機会を捨てていきます。そして無心に”純粋の家庭”を築こうとする。 そんなことが可能か、可能でないから清太は節子を死なせてしまう。 しかし私達にそれを批判できるでしょうか。 社会生活はわずらわしいことばかり、出来るなら気を許せない人づきあいは避けたい、 自分だけの世界に閉じこもりたい、それが現代です。 現代の青少年が、私達大人が、心情的に清太をわかりやすいのは 時代の方が逆転したせいなんです。 もし再び時代が逆転したとしたら、果たして私達は、今清太に持てるような心情を 保ち続けられるでしょうか。全体主義に押し流されないで済むのでしょうか。 清太になるどころか、未亡人以上に清太を指弾することにはならないでしょうか、 僕はおそろしい気がします。 んーーーん、清太が自分だけの世界に閉じこもらずに、冷たくされようが何されようが、 周囲の大人達に助けを求め続けていたら、誰かが助けてくれたかもしれませんね。 ”家庭生活”と”社会生活”。人と人とのつながりは大切です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.09.25 03:24:35
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