テーマ:日本の伝統と文化(321)
カテゴリ:私・家族・友人
柔道界が騒がしいですね
私のじいちゃんは 講道館柔道の創始者「嘉納治五郎」の直弟子でした 道場を開いて講道館柔道の普及に努めました 私がじいちゃんと同居していたのは小2の5月までだったので あまりたくさんの思い出はありませんが 私は柔道の稽古の様子を眺めているのが好きでした 暑い日には、お水を持って行ってあげたり ウチワで仰いであげたり 私としてはそんなことが楽しかったのですが 真剣にお稽古している屈強な若者たちにとっては ちょっと邪魔な存在だったかもしれません 道場の壁には大きな円い時計がかかっていました 時計の斜め下に窓があって その窓枠に上ると時計に手が届くんです やったね~、私は時計の針を遅らせるのに成功 こっそりと、たびたびね で、私が、どうして、そんなことをしてたかって? お稽古の時間を長引かせるためで~す、はははは 大人たちは、私の仕業だと知ってたのか 知らなかったのか、、、? 叱られたことは一度もありませんでした 道場は子どもの遊び場でもあり懐かしいです じいちゃんは「ほねつぎ」を開業しており 自宅の方に看板がかかっていました 患者さんがいらっしゃるたびに 幼い私は「カンジョさんがきたよ~」と言っては、 「かんじゃさんがいらっしゃったでしょ」 と叱られ、それでもまた「カンジョさんがきたよ~」 と言ってしまうのでした ついでに思い出しましたが 「両方」を「ろうほう」 「机」を「くつえ」と言ってしまうのも直されたものです 患者さんに使用する包帯は洗って何度か繰り返して使うので 洗った包帯を巻く道具があってクルクルと回しすと 包帯を巻くことができるのでした お手伝いと称し、クルクルとよくやりました そう言えば、私が骨折したとき あ~~!やっちゃったよ!ほんとに骨折! (2008年12月23日日記) そこの病院でクルクルの手回し小機械を見かけて あれ~~懐かしいと1人で嬉しがってた私でした お薬をつくるときも、包帯をクルクル巻くときも じいちゃんのあとをくっ付いてまわって、、 邪魔だと言われた記憶はありません 私が、足首を、くじいたとき治してくれました ほんとに魔法のように痛くなくなったのです 嬉しくて嬉しくて飛び跳ねたんです で、また、痛めてしまった、バカな子は私 二度目はさすがになかなか痛みは治りませんでした~ 祖父は、学校の先生でした 師範学校で数学と柔道を担当していたという話です 校長先生だったと聞いてましたが 私が物ごころついた時には退職後だったのかな と、ここで、きゃーー、大発見がありました な、なんと、従姉のブログ見っけ~~ じいちゃんの名前を検索してみたら出てきました~ 以下、じいちゃんについての記述です
ご本人のブログでは〇〇にはじいちゃんの名前が書かれてます なんと素晴らしい文章でしょう ううーん、従姉にブログを見つけたこと言うべきか言わざるべきか・・ 言うと、私のほうも教えなくっちゃ、でしょ 文章力で雲泥の差があるので、恥ずかしくて教えられませ~ん じいちゃんへのいろいろな思い出が蘇ります 夜寝るときはいつも昔話を聞かせてくれました じいちゃんが元気だったころの最後の思い出 小5くらいだったか、帰省したときに じいちゃんと一緒に寝ました 夏だったのでただ横に並んで寝ただけでしたが じいちゃんは先にぐっすり寝てしまってたので 朝、じいちゃんが目覚めたとき 「あ、一緒に寝てたのか、気づかなかった もうちょっと一緒に寝てようよ」 と、嬉しそうだったのに 「もう、起きる~」と言って布団からでた私 ああ、もう少し、一緒にゴロゴロして なんでもイイからいろいろ話すれば良かったよ~ そのあとのじいちゃんの記憶は 布団に伏せっている姿しかありません 「ねんねのじいちゃん」と呼ばれてました こんな昔の話をするようになって 私も歳をとりました・・ と、柔道界の不祥事のニュースを見て思い出す じいちゃんのいろいろでございました 埼玉県保護収容動物情報 つばめのおうちは家の中 情報をお願いします お家はどこ? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013年03月27日 16時52分31秒
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