455393 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

詩人たちの島

詩人たちの島

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X
November 23, 2005
XML
カテゴリ:essay
昨晩は、飲みすぎてしまった。つまらないことで久しぶりに口論したりして、愚かさをまた発揮して、今日の休日はなにもせずに小さくなっていた。風邪もぶりかえして、自分の馬鹿さかげんを噛み締めながら、布団のなかで震えていた。

高野さんが、谷川の詩「がっこう」を批評しているのを読む。これ以上はうまく言えないけれど、この小学生のスピーカーを偽装した詩で谷川が批判しているのはなんだろうか?最後の行の「くやしいか がっこうよ くやしいか」というのは、いろんな思いが込められているのだろう。「ゆめをみている」生徒の夢を奪うような学校の全体としてのありようが批判されているのだろうが、そういう理屈よりも、「おれんじいろのほのおのしたが
うれしそうにがっこうじゅうをなめまわす」というようなところに、この詩のすごさがあるのではないだろうか。この話者はその「おれんじいろのほのお」に加勢している、というよりその炎になりきって、「なめまわす」ように学校を燃やしているのである。夢を見ている生徒でもない、そこからも疎外されたものに話者を仮構できるところに、谷川の凄さがある。そのことがトータルな批判を可能にするのであろう。「無」の一転にしがみつき、それをどう反転させるか、そういう書き方である。

しかし、現実の「学校」はとうに焼尽している。

昨日、岡山の新見市にお住まいの田中俊輔さんが最初の詩集「イチゴの花」(Ryokushisya)を送ってくださった。風邪でつらかったので、悪いけれど布団のなかで寝ながら通読した。みんなすばらしい詩である。あとがきによると、田中さんは「三年という短い東京での銀行員生活で心を病みuターン。故郷の両親のもとに帰」られ、今は「両親と三人暮らしで」稲作をやっていると書いている。そのなかの短い一編をここに引用しておく。

稜線

見えかくれする稜線を
何度もノコギリで引く
ここにたどりつくまで
何を見てきたというのか

枝打ちをする
うっそうとした杉林を登る
すると はるかな視界が開ける
遠い時空へ男を放つ

二十日で男はひとつの山を降りる
見上げれば人間の未来が
確かな森が
そこにあるのだ

田中さんの健やかな日々と充実した詩作を祈ります。ありがとう。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  November 23, 2005 08:44:56 PM
コメント(7) | コメントを書く
[essay] カテゴリの最新記事


PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

蕃9073

蕃9073

Favorite Blog

まだ登録されていません

Comments

船津 建@ Re:Die schlesischen Weber(シレジアの職工)(05/25) 引用されている本にはかなり重大な誤訳が…
名良橋@ Re:言挙げせぬ国(01/04) YouTubeで虎ノ門ニュースをご覧下さい 自…
http://buycialisky.com/@ Re:これでいこう(04/05) cialis vs viagra pros and conscialis so…
http://buycialisky.com/@ Re:鼓腹撃壌(12/25) cialis alcohol efectoscialis 5mg tablet…
http://buycialisky.com/@ Re:横浜遠足(04/30) what do cialis tablets docialis typeson…

Freepage List


© Rakuten Group, Inc.
X