カテゴリ:music
Horowitz in Moscowというタイトルのcdからモーツアルトのソナタk330が先ほどラジオで流れていた。耳を澄まして聴くことになる。巨匠たちの演奏の力とはいつも人をそこに留めさせるものがあるということだろう。次にGiesekingが「皇帝」を弾いている、これも同様。AccuClassicalというインターネットラジオ、ときどき接続が切れたりするのだが、今はもっぱらこれを愛聴している。阿Qラジオと命名した人がいるが、いつもcdを購入できるわけではない、金の無い庶民であるわれわれにはぴったりである。よくわからぬ理屈だが。
でも酔っ払って聴いていて、いいなと思った曲のcdを無意識のうちに購入していたことが一回あった。昨日アマゾンから次のアルバムを発送したという連絡があった。 Ben Websterの Soulville というのである。あれっと思ったが、思い出した。Ben Websterというサックス奏者のことを知ったのは、ナット・ヘントフの書いたものの中でだった。ヘントフは彼のことを次のように書いている。 ―― 20歳のときだった。…ボストンのジャズ・クラブのカウンターで、わたしは、長年デューク・エリントン・バンドでテナー・サックスを吹き、図体が大きく、気性も激しいベン・ウェブスターの横に坐っていた。当時、彼はソロで活動していた。自分が住んでいる街から外に出ると、クラブ・オーナーたちが仕事に見合うだけのギャラを出し渋り、いつも一緒に演奏しているリズム・セクションを連れて行くことができないことも、しばしばあったからだ。それは幕間のときのことだった。その晩のリズム・セクションは一所懸命ではあるがノリの悪いものになってしまっていた。だが、ベンは、一回目のセッションがちょうど終わる頃までには、そんなリズム・セクションをわしづかみにして、少なくともスウィングの体裁だけはつくろえるグルーヴの高みへと力ずくで持ち上げていたのだった。 「ほら、な」と、ベンは自慢げに語り始めた。「リズム・セクションがその仕事をできないなら、もう自分ひとりの力でやるしかないんだ」 このようなベンの信条は、彼の音楽と人生を一貫して支えていた―もっとも彼にとって、音楽とは人生そのものだったが。それは、わたしの生き方にも大きな影響を与えた。わたしが墓に入るときがくれば、このベンの言葉を墓碑銘に刻んでほしい。―― (THE NAT HENTOFF READER・藤永康政訳・岩波書店・邦題「アメリカ、自由の名のもとに」) こういうエピソードや、ヘントフが若いときに見習い記者として勤めていた小さな新聞社のオーナーで、ヘントフの自由の擁護者としてのゆるぎない生のスタイルと思想を作ったといってもいい女性のジャーナリスト、フランシス・スウィニーの若すぎる死(36歳)の際に、19歳のヘントフは泣きながらベンのバラッドを繰り返し繰り返しかけて聴いたというエピソードなどから、この名前はぼくにとっては忘れられないものになっていたのだった。 今、ここまで書いて一服していたら、偶然だが、ベンの泣くようなサックスの音がラジオから聴こえてきた。同じアルバムのWhere are youという曲である。すぐわかった。1957年のものだ。今はブレヒトとヴァイルのマックザナイフをエラが唄っている、ベルリンでの公演。耳が回る。 このラジオはクラッシク、ジャズにせよ、上質で、巨匠たちの演奏で一杯である。だから、もうダウンロードするシステムのものからは離れた。 こういうことばかりで一日が過ごせたらいいな。団塊の世代の消極的な部分の一人として、定年後の日々の理想の過ごし方になるだろう。はやく来い、その日。 机上にいつもあるのが、井伏鱒二全詩集(岩波文庫)なのだが、次のような句で始まる詩を見つけた、この句はだれのことばだろうか? ― 三日不言詩口含荊棘 ― というのだ。ためしに訓読すれば、三日詩を言はざれば、口荊棘を含む、ということになるのか。三日間、詩を口に上せないと、口は荒れてしまうという意味だろう。いい言葉だな。その一連、 冬 三日不言詩口含荊棘 昔の人が云ふことに 詩を書けば風邪を引かぬ 南無帰命頂礼 詩を書けば風邪を引かぬ 僕はそれを妄信したい こういうおまじないがあるのを知っていたら、ぼくも風邪は引かなかっただろうに。時すでに遅し。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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