カテゴリ:ニューヨーク通信(湯浅ましほ)
水島先生
Buildingsの狭間にRockefeller CenterのChristmas treeが輝いています。その向うにskate rinkが白くぼんやり見えます。四時半になると外はすっかり暗くなり、officeの窓から、HanukkahとChristmasを前にしたMidtown Manhattanの光と影を楽しむことができます。この季節、夜の街は幻想的にも思えます。何千、何万もの小さなlightsに飾られた街路樹が、大通りに沿って続きます。昼間の晴れやかにもあわただしい雰囲気は消えうせて、冷たい夜の街は、何か美しいことが起きるのを待って息を潜めているように見えます。 階段を駆け下り、改札口をすり抜け、platformを急ぐ人々の間を縫って、開いた地下鉄の扉を駆け抜ける。朝の通勤は、officeに辿り着いて、そこに待っている仕事に取り掛かるという些細な目的に心を奪われて孤独なものです。帰り道も、家路を急ぐ人々は、無口に人の波にもまれます。そんな孤立した魂に、一瞬触れるのが、地下鉄構内の音楽家です。列車の轟音の合間、人々の足音の上を、澄み渡るclarinet、二つの地下鉄の駅を結ぶ寒い地下道の片隅ですすり泣く哀しいviolin、saxophoneはjazzを奏で、electric guitarは最期の悲鳴を上げるかのように震え、quenaがAndesの歌を、kanteleがFinlandの歌を歌い、jeansを着たsopranoが道具にも衣装にも助けを借りずに、純真な蝶々夫人を描きます。そういう音楽家の前に足を止める人の数は少ないのですが、二十秒ほどの音楽の断片に心を癒されるのを感じるのは私だけではないと思います。 こういう音楽家の中には、Juilliardを卒業した人達がいると聞きました。子供を抱えて、生活の糧を得るために演奏する人もいるのだそうです。大学を出て、親からの送金が絶えても、夢を捨てられぬ人もいます。 Producersやtalent agentsの目に留まる日を待っている人もいます。音楽に対する情熱を忘れず、平穏で堅実な人生を選ばず、華やかなCarnegie HallやLincoln Centerの下、深い地の底で夢を見る人達。 “To live is to hope.” 特に美しい音楽に巡り会ったとき、演奏家の前に開かれた楽器のケースに入れるために、私は一ドル札を何枚かポケットに持ち歩くようになりました。 先生が煙草をお止めになろうと努力なさっておられるとのこと、心から応援しております。 寒波と聞いております。くれぐれも、御身お大切にお過ごしください。そして、よいお年をお迎えください。 ましほ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
December 18, 2005 12:55:17 AM
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