カテゴリ:書評
『中村屋のボース』なる本を読んでいます。これは今年の大仏次郎賞を受賞した、若い研究者の野心的な本です。著者は中島岳志という75年生まれの人です。面白いですね。「インド独立運動と近代日本のアジア主義」という副題が付いてます。
R.B.ボースはインドの独立運動の過激派で、日本に亡命するような恰好になった人です。1920年から30年代にかけて、いろんな意味でアジアの白人種からの独立を唱えた人です。もちろん母国のインドの独立運動に命をかけたのですが、その渦中で、日本の帝国主義のアジア侵略をも母国インドのイギリスからの独立という悲願のあまりに容認した、そういう感もする人です。 これを読んでいて、たえず考えていたといえることは、何か。この当時の日本に存在した広範な国際的なネットワークのことである。たとえばボースを孫文に引き合わす頭山満という玄洋社の首領の存在、ボースは頭山のおかげでイギリスの探索を逃れることができるのだが、まあこういう人物は今ではどうとらえればいいのか? たとえばアルカイダのビン・ラディンのような存在を逃がしきることができるネットワークというようなことを考える。そういうものが、当時の日本にはあったというような感じですね。 でもこれら右翼の単調さは、つまり馬鹿さかげん、志士気取りで現実の国際関係を見ようとしないことは、ボースによってきちんと批判されているのだが、こういうことはイマもなんら変わりありません、この日本ではね。 切実なのは、中村屋の娘、俊子のことです。画家中村つね(つねの正字はまたあとで調べます)のなぶりものになったのではないかと、ぼくは思うのだが、二人の恋の中身を調べてみたいものだが、つねの去りし後の俊子とボースを結婚させたのも頭山満である。この二人の生活は俊子の死によって長くはなかったが、それでもボースはこのあとの婚姻の勧めを断固として断ったということである。二人の子が残された。 まだ読み終わってはいないのだが、ぼくにはアカデミックな本というより、むしろルポや伝記を読むような臨場感がある。それほど、この年頃の書き手は達者になってきたのだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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