昭和30年代をテーマにした『always三丁目の夕日』という映画をmovix橋本で今日観た。義父の世話をヘルパーさんに頼んで、久しぶりに女房と二人で出かけた。子役たちが一番うまい映画だった。漫画の映画化というが、昭和30年代の表面をとても上手に拾い集めて、「希望」の時代だったというようなコンセプトで作ればこうなるのだという映画だった。いやらしい感じはしなかった。素直に作られているように見える映画で、泣ける場面もずいぶん工夫して作ってあった。淳之介という父と母を捨てた子供の未来が、今現在なのだろうというようなことを思った。映画ではこの子と吉岡演ずる売れない作家の親代わりの美談に焦点をあてているのだが、擬似親子が実の親子を超えて生きてゆく先はいずれにせよ高度成長期の日本でしかない、その寸前の時期だからこそ、たぶん「夕日はきれい」なのである。堤と薬師丸演ずる希望にあふれた家庭とその家の子も、どこか荘厳なくらいに気品にみちて美しい。そういうエピソードだけを羅列してつくっている意図があるのかもしれない。映画の最後で人物たちの視線はいずれも同じ方向に向けられる。その先にあるのは、完成した東京タワーである。見上げる希望に満ちた顔はそれなりに美しいが、彼らの未来というものがこのタワーで象徴されているのだとしたら、その希望はアンビバレンツなものであり、もっと複雑なものでもあるはずだが、若い映画作家はそこには目を向けようとしないのである。いつも夕日はきれいだよ、いつでも、という祈りがそこにはあるからなのだろう。
高野五韻さんの手造りの詩集『馬鹿と煙』が届いていた。ざっと数えたら43編の詩が集められている。読みでのある詩集だ。ありがとう。
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