crashを観た。ポール・ハギスという人の初監督の映画で、今年のアカデミー賞の脚本部門などを受賞した映画である。脚本もこの人が書いている。最初は独立しているように見えるいろんなエピソードが最終的に一つの流れとしてまとまるのだが、その流れの作り方が、クリント・イーストウッドの映画と似ていると思った。ハギスはクリントのミリオンダラー・ベイビーにも参加している人だということがあとで分かった。全然飽きさせない、このリアルさを作っているのは、「他者とは何か」ということを徹底して洗いなおしてゆくと、こうなるのだろうとしか言えないようなリアルさの質をこの映画が掘り当てているからだと思った。それは権力の笠を着ているのではあるが、警察官の傲慢さとその反面の父親思いで、また献身的な警察官でもあるような複雑な人間を演じたマット・ディロンに象徴されるような人間を造りだしていることにもあらわれている。映画なのだが、たぶんこういう人物はぼくらの身近にもいるだろうと思わせる、しかしこれらの人物がそこまで露出して自己を表すような場面はやっぱりこの日常にはないだろうとも思う。その境目に漂う危険性、それは個々の人物のパーソナリティのそれに収斂するのではない、人物たちのエピソードの流れの集約として、結果的に見るものの胸に食い込んでくるのである。誰一人として主役と呼べるものがいない映画である。
今日は36回目の結婚記念日でもあった。36年という数字には驚くしかないが、これらの日常の積み重ねのなかにも一番身近な「他者とは何か」ということの相互の問いかけと応答や沈黙もあったのだろうか。あったにはちがいない。
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