カテゴリ:essay
例によってなまけてしまった。まあ、それもありだ、あるいはそれしかない、または、怠けられるだけシアワセというものだと、話は次第に落ちてゆきます。
「妄想の御詠歌」と石川淳こと夷斎先生は、「君が代」を名づけたが、またこの季節が巡ってきますね。憂鬱なことです。夷斎先生のこの歌に関する考証をいつか紹介したいものですが、要するに、君が代、というものが明治官僚によってつくられた、ということはそこに注入されたのは、旦那意識と薩長の藩閥の安泰意識のアマルガムにすぎないものだったということで、ここには微塵も、この歌の成り立ちからしてもそうだが、「祖国観念」などはないということだ。 ――ラ・マルセイエーズは「だれがうたふ歌か。とくに革命家の歌とはかぎるまい。ヴィシイ政権のペタンでもおなじくこれを歌ったはずだろう。本場のマルセイユのマリウスとファニーもうたひ、ゴロツキもうたひ、酔っ払ひもうたひ、こどももうたひ、死刑囚もうたひ、首切り役人もうたふ。…すべてのフランス人はやっぱり百何十年まへの革命のとき人民の進撃の中からおこったこの歌を今日なほうたひ、明日にもうたひつづけるつもりだらう。こういふ歌を国歌といふ。 敷島の大和の和朝には、残念ながら、こういふ国歌はいまだかつてただの一度もうたひあげられたためしがない。絶対にありませんね。なに、君が代。あ、さういへばさういふものがあった。しかし、あれはどうしたって国歌といふものじゃないよ。君が代の歌詞は古歌から採集したものだが、こいつ、もともと詩だの歌だのといふほどのしろものではなくて、何かを祝ひはやす文句であった。後世の「めでためでたの若松様よ」といふやつと、その性質において変わらない。… 人民の進撃中から起ったラ・マルセイエーズとは発生的に事情がちがふ。祖国万歳、人民万歳といふ強い意味は毛ほどもない。それでも、もしこれが古歌の下積みになったまま腐ってゆく当然の成行きをたどったとすれば、むかしさういふ無意味な文句があったといふだけのことで、何の実害もおよぼさないはずであった。これに毒を吹っ込んだのは、明治の悪党どものはかりごとだよ。―― これは夷斎先生の「歌ふ明日のために」という感動的なエッセイの一節だが、これが書かれたのが昭和27年5月ということだ。将棋指しで「国歌」普及伝道師などをもかねているYという男にも読ませてやりたいが、彼の知力では、わが夷斎先生の精神の自在なる運動を理解するのは無理だろう。 この「若松様」が「国歌」に馬鹿な「国会」で採用されたときに、たしか夷斎先生はお亡くなりなっていたはずだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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