カテゴリ:music
朝起きたとき、何を考えていた?何も考えていない。ただ疲れを感じて、一時間遅刻することにして、いつもより一時間遅く布団の中にいた。起きて、パンとコーヒーで朝食を済ませ、今日の弁当は作らなくていいよと昌子に言った、金曜日は午後の授業が入っていないので休暇を取りやすい。義父の調子が急速に悪くなり、立つことが困難になってきた。最近、食事はリビングでわれわれと一緒にはできない。昌子が義父の部屋に行き、食べさせている。いよいよ寝たきりか。この介護はこちらの体力もすごく使わねばならない。抱き起こす、簡易トイレに坐らせる、それからまたベッドに寝かせるまで、ハーハー言いながらの仕事だ。
2時30分前の電車に乗り、町田で急行に乗り換える。3時に家に着き、一週に一回の外でのレッスンの仕事に行く昌子とバトンタッチをする。義父はほとんど寝たきり状態である。視線が定まらない、腰と足がだめになった。抱き上げてトイレに坐らせることがこんなに大変なことであるのを実感する。もっとうまいやり方があるにちがいない。一週間前までは自分でなんとかトイレまで行けた、そこで脱がせたり着せたりはぼくらがやるにしても。でももう支えてあげてもトイレには行けない。そこで簡易トイレを部屋に借りた。ベッドのそばにおいてやらせるのだが、グニャグニャした体を立たせたり、坐らせたりするのが大変である。本人は意識があるのかどうかよくわからないが、「お父さん、立って!」と叫ぶと、なんとかしようと反応する。しかし、前みたいにはっきりとした反応ではない。いよいよ最終楽章に入ったのかもしれない。最終楽章ということばは父の娘である昌子自身が自然にもらした言葉だった。 8時前に昌子が仕事から帰ってきた。ひな祭りの真似事でもしてあげたらよかったと思ったが、できなかった。人のことを考えてあげているようでいて、まったく無視してしまっているような気もする。「やさしさ」を自分には要求するが、人には与えることをしない、そういう無神経がずいぶん続いている。衛星で、フォレスト・ガンプをやっていた。途中からだったが、このイノセントな男の奇蹟にひきつけられていた。人を救うということの偽善から限りなく離れれば、喜劇とも奇蹟とつかぬ、輝く無私の強さのようなものこそが人を決然として「救う」のである、こういうメッセージを私はこの映画から受取った。アメリカの伝統の最良の部分であろう。昌子は疲れて寝てしまった。でもまたすぐに起きなければならない。 昨日、帰宅してから、雨が降っていたが、南野の蔦谷書店まで車で行き、ブルース・スプリングスティーンのcd「グレイテスト ヒッツ」というのを借りてきた。お目当てのものは無かったし、もっといいアルバムだろうと思ったのは借りられていたので。これしかなかった。でも、なかなかいいです。この人の真似を日本でしている人もいるが、全然ちがいますね。 Human Touchという曲、 … You might need something to hold on to When all the answer they don’t amount to much Somebody that you can just talk to And a little of that human touch Baby in a world without pity Do you think what I’m askin’s too much I just want to feel you in my arms And share a little of that human touch … こういうスプリングスティーンの思いが好きになりました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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