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詩人たちの島

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March 11, 2006
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カテゴリ:essay
 最近、夕食後急速に眠たくなって、がまんできないことがある。それで仮眠を取るつもりが朝までそのままというときもある、熟睡はできない、ただ起きるのが億劫で、そのまま夜をあかすときもあり、午前0時過ぎに起き出して、そのころから寝る準備をする妻や、そのころに会社から帰ってくる息子と、ヤーなんて挨拶を交わすときもある。
 今日も今朝0時半に起きて、これを書いている。今日は土曜日だが、卒業式で出勤だ。卒業式のことを思うと、イヤになるが、ただ耐えて、卒業生のこれからの人生に幸あれとだけ念じて出席するつもり。あとのすべてはどうでもいいことだが、そのどうでもいいことだけを拘束しようというのが悪名高い「都教委」のいつもの「仕事」である。ぼくの学年も今年は2年生になる。08年の3月には卒業式である、そしてぼくの教員人生も卒業式をそのときむかえるはずだ。そのときも当然のように都教委は「君が代」「日の丸」の教員への強制と、次第にエスカレートしてきたことでわかるように卒業生たち自身への強制も含めて続けていくのだろうか?なにか急に「もしかして」ぼくはそのとき常軌を逸した都教委に対してぼくも「常軌を逸して」なにかやらかしそうな予感もしないではない。今年もまた陰湿な「御詠歌」に先導されて、意味の無い「式辞」に満ちた「厳粛」な「式」が、ロボットたちの式次第で行われようとしている、それを考えると最低最悪の朝である。
 3月8日の朝日新聞で作家の辺見庸はこの5年間の「小泉時代」をフランスのレジス・ドブレの言葉を借りて次のように総括してみせた。「ファシズムよりましだというだけで、民主主義ではない」。実はこの言葉をドブレは94年の朝日新聞のインタビューで述べているということだ。ドブレはそこでマスメディアの権力への現在的迎合の形式を予言していたということを辺見は述べている。
 常に刺激を求める視聴者にあわせることによる、情報のヒステリー化、短絡化の現れ(テレビなどのワイドショーはいつもこれであるーban追記)とそこから生まれる「大衆迎合的人道主義」の横行。以上の加速化でマスメディアに横溢するのは「浅薄で凡庸なイメージ」だけであり、それが少数意見の圧殺へと向かう、というのがドブレの当時の見解であるらしい。全く今と同様である。―「今や政治はショーかスポーツの様相を呈し、市民の政治参加はサポーターの応援合戦のようになりつつある」、こうした社会は「ファシズムよりましというだけで、民主主義ではない」とドブレは断じている。―

 辺見はここで小泉の「憲法」利用の恣意性を痛烈に批判している。しかし、ぼくはこのコイズミ君の憲法解釈を応用して考えてみたい。コイズミ君は現行憲法を変えたいのに、「靖国」訪問批判を、なんと「精神の自由、心の問題、これはだれも侵すことのできない憲法に保障されたもの」として現行憲法の19条を利用することで、自らの「正当性」を擁護しようとする。これは年頭の記者会見の言葉だというが、この言葉をそっくりぼくはその真の正当性において、「都教委」が今までに行ってきた現場への「批判」、それは「批判」にとどまらず「処分」を伴うものにエスカレートしてきたのだが、そのすべての不当な「弾圧」に対する根拠ある抵抗軸として応用する。「都教委」などという下部の任命権者の権力をはるかに凌駕する国権の最高権力者による上記の言葉により、まさに正当性を欠く「違法」の弾圧であるということが、「都教委」に対して宣告されているのではないか。

百歩譲って国権の代表者の「靖国」訪問が許されるためには、「国旗」「国歌」への徹底的な「侮蔑」と批判も許されなければならないのではないか。それが「民主主義」であると思う。だが、「現場」がやってきて、現在「禁制」になっているのは、「侮蔑」や批判なんかのためではない。テーマは「国旗」でも「国歌」でもないからだ。まして「式」などという「普遍」がこの世界にあるわけはない。3年間の「汗」と「涙」を歓び合い、未来を遠望する、それが高校生の真っ当な「卒業式」であろう。高校生に限らずだ。そういう批判すべき何もないところに目をつけて、批判し「処分」しはじめたのは、なぜか。理不尽としか言いようがない。「ファシズムよりましだというだけで、民主主義ではない」。「教育」は国家のものである、常にこういう視点からしか語れない、しかしこれがアルファでありオメガである、つまりそういうことだ。そういうことで「日の丸」「君が代」がいつも「式」の主人公になりたがるわけだ。そこには「人」はだれもいない。

「卒業式」のための花婿や花嫁のかわりに、「歌ー君が代」が主役となることで「卒業式」は死ぬし、死んできた。主役たるべき花嫁と花婿は消え去る。大きな「偽装」がここにはあるのだが、その構造計算書は白昼堂々と「都教委」なるもののお墨付きで「偽装」されている。

 もうやめよう。

 ブルースが歌っている。
Congregation gathers down by riverside
Preacher stands with his bible, groom stands waitin’ for his bride
Congregation gone and the sun sets behind a weepin’ willow tree
Groom stands alone and watches the river rush on so effortlessly
Wonderin’ where can his baby be still at the end of every hard earned day
people find some reason to believe

( REASON TO BELIEVE)から






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Last updated  March 11, 2006 04:20:48 AM
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