カテゴリ:書評
「樹が陣営」の佐藤幹夫さんの新著『村上春樹の隣には三島由紀夫がいつもいる。』(PHP新書)を頂いた。佐藤さん、ありがとう。刺激的なタイトルで、その「序」にあたる部分を読んだだけだが、佐藤幹夫という批評家が全力で村上春樹にチャレンジし新しい「春樹像」を描きださずにはすまないとでもいうようなエネルギーを感じさせる。愉しみだ。
午後、近くにできたビデオ屋兼本屋をのぞいてみた。24時間営業というのが売りだが、その隣のマンションの塀には24時間営業に「反対」という旨の居住者たちの意見書みたいなものが掲げられていた。広いスペースの駐車場があるのだが、車がまばらなのを見ると客はそんなに多くないようだ。そのうち自然につぶれるかもしれない。本もたいしたものはないが、村上春樹の翻訳ライブラリーのシリーズで「月曜日は最悪だとみんなは言うけれど」(中央公論新社)があったので、買ってしまった。これも最初の数ページだけ拾い読みする。最初の翻訳はレイモンド・カーヴァー論だ。これはカーヴァーの初期の作品には実は彼の編集者だったゴードン・リッシュが手を入れたのがずいぶんあるのではないかということを書いたD.T.マックスという人の文章の翻訳である。この翻訳の解説を村上が最初に書いているが、それは面白い。作家とその編集者の関係について、「才能のある作家は早く学ぶ」ということを述べている。つまり、「作家によってはヘヴィー・エディティングをある時期に必要とするかもしれないが、そのような状況はおそらく長くは続かない」ということだと村上は述べている。カーヴァーはかなりの程度この編集者の影響下にあったらしい。このことについてはもう少し読んでからまた書こう。 最近村上の生原稿が流出しているということが新聞などで報じられ、これについて村上自身が、ある亡くなった編集者の仕業だということを「文春」に書いているらしいが、その編集者と村上の関係はどんなものだったのか、知りたくなった。その編集者は私の息子によると安原顕ということらしいが、もし彼だったら、この二人にもカーヴァーとリッシュの関係に似たようなものがあったのかもしれないなどと思った。下種のかんぐりだろうけど。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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