カテゴリ:essay
「愛国心」について、二つ学んだ。一つは拓のblog, このタイトルは「足の裏の祖国」というものだ、もう一つは朝日夕刊の看板コラム、加藤周一の「夕陽妄語」だ。両者は期せずしてハイネを題材にした文章を書いていた。
加藤はハイネの詩「昔ぼくには美しい祖国があった」(Ich hatte einst ein schones Vaterland)という一行で始まる詩について考えをめぐらす。 ―― 私はその詩をくり返し読んだ。愛国心とは自分の国に愛着を覚えることだと辞書にも書いてある。しかしそれはあまりに漠然としていて、自分の国のどこに、何ごとに、愛着するのか、全く明らかでない。その国のすべてにか?そんなことはあり得ないだろう。どこの国にも、美しい山野があり、ゴミ捨て場がある。善意の人々が住み、どろぼうも住む。「美しい祖国」の何を詩人は愛したのか。彼は「高く伸びた樫の樹」や「優しくうなずいていたすみれの花」を愛した。そして「それは夢のようだった」という(Es war ein Traum)。その後に来るのが「ドイツ語」。祖国は口づけをしてドイツ語で言った(それがどれほどよく響いたか信じられない)「お前を愛している」と。樫の木とすみれの花とドイツ語の響き、―これがハイネの祖国の内容であった。…「愛」は外から強制されないものであり、計画され、訓練され、教育されるものでさえない。ソロモンの「雅歌」にも「愛おのずから起こる時まで殊更に喚起し且つ醒ますなかれ」という(第8章4)。「愛」は心の中に「おのずから起る」私的な情念であり、公権力が介入すべき領域には属さない。 愛国心も例外ではない。それを国家が「殊更」に「喚起」しようとするのは、権力の濫用であり、個人の内心の自由の侵害であり、「愛」の概念の便宜主義的で軽薄な理解にすぎないだろう。偶然生まれた国は愛するに足らず、という意味のことを言ったときに、内村鑑三はたしかな愛の対象として国の上に神をおいていた。愛を二つの主体間の関係として定義したマルティン・ブーバーは、その究極の実現が神と人との間にのみ期待できると考えていた(I and thou 1923)。人間にとっての愛の意味はそういう深さにまで及び得るのである。―― 3月22日 朝日・夕刊 拓はWBCの日本の奇跡的勝利に沸き起こったナショナリステイックな高揚に違和感を披瀝しつつ、自分は「国旗」なるものを振り回したくないと宣言する。そこで彼が引用しているのはハイネである。 ―― 人は、決して国家から自由になることはできない。いくら望もうが、たぶん“日本人”をやめることはできない。そんなことは、とうに知っている。しかし、足の裏に祖国を持つことならできるかも知れない。 おお、ダントンよ、きみはひどく間違っていた そのあやまりを、あらためなければならない 靴の底に、足の裏に、 祖国をつけていくこともできるのだ (『冬物語』、ハイネ)―― ぼくはハイネについてほとんど知らないが、ハンナ・アレントはハイネを「隠された伝統」というエッセイのなかで、4名のアレントにとって尊敬に値するユダヤ人のなかの一人として真っ先に論じている。アレントは彼女の理想とするユダヤ人というか民族というか、そのあり方を「パーリア」という言葉で規定する。pariahとは辞書によれば「社会ののけ者」という意味であり、アウトカーストのことである。「成り上がり」の対極としてアレントは使うが、この概念によってアレントが論じているユダヤ人はハイネのほかに、ベルナール・ラザール、チャーリー・チャプリン、フランツ・カフカである。 ハイネについて、アレントは次のように述べている。 ―彼はパーリアと不運な者とから成る民族に帰属することをやめず、そのことを通してヨーロッパの妥協を知らぬ自由の闘士の列に伍したのだった。そうした闘士は残念ながらドイツではきわめて少数しかいなかった。同時代人のなかでハイネはもっともすぐれた品格を備えた詩人であった。だがドイツのブルジョワ社会はその品格を失うにつれ、ハイネの詩のもつ爆発力を恐れるようになった。こうした恐れから「品格のなさ」という中傷が生まれた。これでハイネを葬れたら、と考えられたわけである。中傷者の中にはユダヤ系の文人もかなり含まれていた。彼らは、ハイネの打ち出した「ドイツ人であると同時にユダヤ人であることの道」を歩むことを望まなかった。その道を採れば、確実にドイツ系ユダヤ人社会での地位を失うはずだから。 なにしろハイネは、たとえ一人の詩人としてにすぎぬとしても、ユダヤ民族が解放によって実際に自由になったかのようにふるまい、またユダヤ人はユダヤ人であることをやめてはじめて人間であることを許されるという、ヨーロッパでの解放をことごとく支配していた前提条件など存在していないかのようにふるまったのである。そのために彼は、当時まだごくわずかな人たちしかなし得なかった、自由な言葉を喋り自然な人間の歌を歌うということができたのだった。―― 「パーリアとしてのユダヤ人」寺島・藤原訳・未来社 猛烈な悪文訳のために最後のところはわかりにくいが、アレントがいいたいことは、簡単に言えば、この地上の強いられてある条件を人は容易に逃れることはできないということだ。これは苦い認識だが、ハイネの強さもそこからしか出てこない重要な認識である。彼がダントンに向って「足の裏の祖国」と言ったとき、彼が批判しようとしたのはダントンの「自己陶酔」的な「愛国心」であり、それは容易に「排他的なナショナリズム」に堕してしまうということを冷静に認識していたからであり、それ以上にハイネが「パーリアとしてのユダヤ人」という自己認識を手放さなかったからではないか。 「愛国心」などは成り上がりものの持つ「私的」な感情にすぎない。自由に生きることが億劫になってくるとき、つまり自らの条件を自らで背負うことができなくなるとき、人は「成り上がり」を目指し、そこに自らの逃亡の責めを自ら忘れるための単なる心的機制としての感情群に身を寄せるようになる。その感情群のひとつがたぶん「愛国心」なるものだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[essay] カテゴリの最新記事
|
|