カテゴリ:essay
久しぶりに吉増剛造さんを見た。向こうはぼくを認識したかどうかはわからないが。三回シリーズの朝カルの初日。こういうものに出たのははじめてだが、やっぱり上品なオバサンたちが多く、男性は少なかったという印象。40名ぐらいだった。吉増氏は―多摩の森講座―と自ら命名した。今日は折口や南方についての助走か序章ということだった。今日の日のために作製したプリント三枚、八月10日発売の「国文学」(折口信夫特集)に書いた原稿に手を加えたもの、それにもう一枚の紙、これはあの流麗な筆跡で、この講座のテーマなどが書かれている、それにプラスして芭蕉の「島々や千々に砕けて夏の海」という句の「発見」の感動を語るいくつかの文献がコピーされている(これは折口などとは無関係に、吉増氏がどうしても話したいということだった)。
あとは本講座のために、和歌山の田辺の熊楠旧居・資料館を映像でうつし、それに彼自身の解説をいれたもの、もうひとつのビデオ映像は大王崎まで行き、やっぱりナレーションを入れてつくったもの(これは折口について)、吉増剛造はこれらを「ロードムービー」と呼び、その出来には相当な自信があるようだった。あ、もう一つは羽村のマイマイズ井戸の同趣の映像もあった、このBGMはジョン・ケージのnearly stationary、これも最高の音楽(彼は武満徹のための文章を読売に寄稿したが、それをかくために武満のすべてを聴いたらしい、そのときジョン・ケージの曲調を武満が取り入れていることを知り、そこから小沼純一にこの曲を聴きたいと依頼したとのこと、彼いわく、もうこれを聴いたらアンダンテとかアダージョなどという曲調が馬鹿らしくなった云々)という折り紙を吉増はつけた。 ぼくは羽村のマイマイズの映像にかぶせられている彼のナレーションに、まあ感動した。 次のようなもの、 「ぼくは60年経過してやっと想像の内に創造することが出来た、この螺旋形にもぐってゆく井戸、重い水、を汲みに、女たちが降りてゆく、これは南島のオリガーと同じであり、この東アジアの片隅に、大横田基地の片隅に、無数のウタキがあるのを想像する、それを現出させることができる、これはポーのメールシュトゥルームともつながる、その水の輝き、a smooth, shining, and jet black wall of water 云々」。「まわる、ということをいつ喪失したのかわたしたちは」。たぶん、吉増剛造が言っているのは、周る、回る、ことは巡る、こと、巡礼するということであり、そのように彼は折口や南方と遭遇しようとする、彼が南島に遭遇したのと同様に、そしてそのことがカソリックなどでいうstation(留・リュウ)と通じるということなのだ。そしてケージの曲。この人の飛躍に満ちた想像力とその連想の、そのつながりの「新鮮さ」というものがこの人の最大の魅力であるとぼくは考える。 彼はいつまでも若々しい。明日ブラジルに立つらしい。そして今晩は東中野のポレポレで彼が案内役となるドキュメンタリー「島ノ唄」の初公開のために、町田康とのトークライブが9時頃からあるらしい。ぼくにはそこまで追いかける情熱はない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
August 5, 2006 08:54:11 PM
コメント(0) | コメントを書く
[essay] カテゴリの最新記事
|
|