カテゴリ:essay
IMAGINATION
Imagination is funny It makes a cloudy day sunny Makes a bee think of honey Just as I think of you Imagination is crazy Your whole perspective gets hazy Starts you asking a daisy What to do, what to do Have you ever felt a gentle touch Then a kiss and then and then Find it’s only Your imagination again Oh well Imagination is silly You go around willy nilly For example I go around wanting you And yet I can’t imagine You want me, too イマジネーションは素敵だ 曇った空も晴れた空に 蜜蜂に蜂蜜を ちょうどぼくがきみのことを思うのと同じだよ イマジネーションは陶酔さ 冷静な視野をぼけさせ 狂人のように、ひな菊に訊ねさせるのだ なにをすべきか、なにをすべきか やさしく触れるもの、その味を経験したことがある? それからキス、それから、それから ただ、それがイマジネーションにすぎないということを 再び発見する ああ なんて愚かな 想像力 きみはわけもなくうろつきまわっている ぼくがきみを求めてうろつきまわっているのとおなじように そう思うのに、ぼくには「想像不可能」なんだ きみがぼくを同じように求めているなんて 未見だが、どうしようもない男(たぶん、そうだったろう)Chet Bakerのドキュメンタリー、Let’s get lostのオリジナルサウンドトラックと名うたれたCDを借りてきて一聴した。そのとき印象に残った曲が上記のものである。訳は私訳。 この曲と詞はJohnny BurkeとJimmy Van Heusenとあるが、これも未見の名で、だれが何をしたのかもわからない。このアルバムのなかで、Chetのわずかに理性的と言える歌いぶりに惹かれたのであろうか。 閑話休題、どっちが閑話かは定かではないが、『芭蕉書簡集』(岩波文庫)の書簡番号62まで披見。芭蕉という人が、教科書などの彼のイメージとは全く違って、こんなに俗世間の俗事にも細やかな心配りをした人なのだということに感心する。それは現代でも、いやこんな現代だからこそ、必要であり、その必要さが、最低限の清潔な「当為」であるような、そういう亡びることのありえない「心配り」というものが大事なのだ、ということに改めて気づかせてくれる。しかし、これが重要なことだが、その反面にではなく、そういう日常の同じ地平に、芭蕉の厳しい「風狂」が同時に聳えているのだ。 テロリストにもアンチテロリストにも、「諸善諸悪皆生涯の事のみ。何事も何事も御楽可被成候(おん楽しみなさるべくそうろう―ban注)」と、芭蕉なら言うかもしれない。 想像力のふがいない挫折、風雅の底知れぬ力、というような「まとめ」はすぐ変わるだろうけど、今日は以上。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
August 11, 2006 11:58:30 PM
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