カテゴリ:essay
最近はキューバ音楽、サルサ、ソンというのか、もっと前の民謡、トロヴァというのか、そういうのをインターネット・ラジオで探して聴いている。もちろん、Buena Vista Social Clubの影響もあるのだが、この映画、ぼくは未見である。ただ同名のcdを借りてきて、パソコンに入れ込んであるのを、この夏は結構聴いている。Veinte Anos(ヴィエンテ・アニョス・20年)という曲が心に残るので、ネットで調べてみた。これはキューバの昔、「流しの歌姫」マリア・テレサ・ベラという人の歌ということだった。この名前は「美空ひばり」という感じだね。もっと由緒あるけど。この人は、謎の人ということらしいが、素敵だ。
歌の意味は分からないが、切々と胸をうつ。 昨日、8月13日はキューバのカストロの誕生日だったが、nytimes.comの寄稿者(Ann Louise Bardach)によるコラムを一読すると、次のような言い方である。 ― FIDEL CASTRO appears to have cheated death(yet again)and will celebrate his 80th birthday today.― cheatedという言い方があるのだな。つまり、死をごまかしてきた、うまくのがれたということなのだ。普通の表現なのかもしれない。このコラムはカストロの獄中記というか、そのときに書かれた書簡集がアメリカで来年(その遅さよ)翻訳されて出版されるということで、若い革命家の手紙の紹介、そのいくつかのexcerpts(抄録)に終始しているのだから、このコラムの筆者にカストロに対するアメリカ的?な偏見があるわけでもない。 なにを言いたいのか。別に。 ただ、ベネズエラのチャベスやボリヴィアのモラレス、そしてキューバのカストロなどに脈々と受け継がれている「情熱」をなんと名づけたらいいのかわからないだけだ。政治的には「北」朝鮮の「息子」も反ブッシュという形でここに呼び出してもいいのだが、アジア的近親憎悪というものも根深くあるので、この人については言わない。 こういう南米の三者には、「キム」体制に顕著なルサンチマンとは異なり、それを突き抜けた何かがあって、それが魅力的なのである。先住民のエネルギーといってもいい、とくにモラレスやチャベスにはそれを感じる。いまどき「社会主義の夢」などといっては笑われるかもしれないが、奥深く翳りに満ちた「南米」には、その夢を現実化する途方もない「情熱」が、涸れずにあるのかもしれない、アマゾンの流れのように。 Veinte Anos前も現在も、この日本の私は、「資本主義」の奴婢として、泣き笑いをくり返してきたし、くり返しているのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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