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詩人たちの島

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August 26, 2006
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カテゴリ:essay
2回目の吉増剛造さんのasahi culture での話。最近、ブラジルから帰ってきたばかりということで、土産に日系の人々のために出されている数種の新聞などを見せられた。それから彼の積年のテーマでもある「蟻塚」の映像と、それにまつわる話。実はこれは最後の方の話なのだが、ここまで来るのには前段がある。「つなぐ」「糸」、「場面」をつなぐ、「場面、場面の興味の深さ」(羽生善治の言葉)から今日の話は始まった。

吉増さんが、藤原書店のPR雑誌「機」の連載の最新号に『手綱もなく、拍車もなく』という題で、羽生善治の例の言葉を書いた、それから、このタイトルはカフカの『インディアンになりたい望み』という作品の一部から取られているのだが、このカフカと羽生を結びつけた!のが吉増の文章なのだが、それを読んだ当の羽生善治のお礼の私信から話が始まったのである。羽生の几帳面なお礼の言葉がコピーされていた。しかし、羽生の鋭さというものを感じさせる文章でもある。それをここに引用することは控えたい。

「場面、場面の興味の深さ」、羽生との対談で吉増剛造の心に刻印されたこの言葉。ぼくは、これを5年前も聴いた。ここから、吉増剛造は南方熊楠に入っていくのであるが、その展開、「つなぎ」の持つ魅惑は「吉増剛造」を「聴く」最大のものである。こう書き直すと、もうその魅力の半分以上が減じてしまうようだ。

南方の魅力を吉増剛造は「近さ」の魅惑という印象的な言葉でくくってみせた。たぶん、「場面、場面」の魅惑を顕微鏡的に、最大限に拡大することができる、またはそのようなものが「日常」「俗」の世界に実は無尽蔵に潜在しているのであり、それを聴く「耳」、視る「目」の「近さ」というものを、われわれが失っているのではないかというのが、彼の南方熊楠「論」の根底にあるモチーフである。これは実にユニークな見方であり、面白い。ぼくは聴いていて、これは吉増剛造、御本人も全く同様だなと、おかしく感じたのである。「近さ」、インティミートという言葉で吉増の場合は言い換えてもよいかもしれないが、それが無限の遠さや、荒涼とした疎遠さの対極として、そこにあるものだということ、常にその両者の実在を明確化させる、ということは熊楠や柳田、折口も同様である。

「情熱と意志の身体」の極限的、絶対的な表出が、「場面、場面の興味の深さ」ということに他ならない、ということを聴きながら、ぼくは考えていた。「自己表出」の連続とつながりの探索、ということを吉増剛造は、彼独自の方法でやり始めたのかもしれない。








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Last updated  August 26, 2006 09:32:19 PM
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