カテゴリ:essay
島々や千々に砕けて夏の海
芭蕉の、この句をぼくは吉増剛造さんの講義で始めて知ったが、吉増さん自身も、卒論が芭蕉でありながら、初めて知ったというようなお話だった。この句を、リービ英雄の小説『千々にくだけて』で知り、しかも人から教示されたということだが、「カルチュアショック」を受けたということだ。芭蕉さんに、松島での句があったのだということか?ぼくはあまり興味がないから、ぼんやりとして聴いていたのだが、なぜか最近、この句が頭に浮かんでくる。吉増剛造はなぜこの句に引かれたのか? リービ英雄の当の小説を読んでいないのだが、吉増氏の話だと、9.11直後に主人公がアメリカとカナダの国境の上空で飛行機に乗りながら、下を見下ろして発する感慨のなかに出てくるらしい?隔靴掻痒という感じがして、うまくぼくには通じない吉増剛造氏の話の一つなのだが、多分、リービ英雄の小説の主人公は、9.11の攻撃を受けたアメリカやそれが表象するすべてを「千々に砕けて」という芭蕉の言葉で代弁したのかもしれない。吉増さんがコピーしてくれて配ったその小説の部分に ―― エドワードが二十年前に、S大学の教授から聞いた、「島々や」の名訳だった。 All those islands! Broken into thousands of pieces, The summer sea. エドワードは窓に視線をそそぎながらひとりで小さな声をもらした。 「しまじまや、All those islands! 」 ―― これだけではわからないが、まあいいや。ここから「砕けて」「砕」「崩」などという言葉への吉増剛造の偏奇が滔々として始まるのだが、それはさておいて、この句はまともにだれも相手にしていない句であるらしい。 この句は土芳編の『蕉翁文集』に「松島前書」と題された文章の末尾に掲載されているものである。芭蕉は周知のように細道の旅の松島では「造化の天工、いづれの人か筆をふるひ、詞を尽さむ」ということで、「口をとぢ」たのだが、その芭蕉に、この句があったのである。 リービ英雄の小説の中での、たぶん危機的な読み直しが、この句を再発見させたのであろう。ぼくの持っている小学館の古典文学全集「松尾芭蕉集」(井本農一・堀信夫・村松友次・校注・訳)では次のように現代語訳されている。 ―― この松島は百千の島々がちらばっていて、そのために、この湾の夏の海も千々に砕けてちらばり、それぞれに涼しい波を立てていることである。季語は「夏の海」―― これに対してリービ英雄の小説の英訳では、たぶんリービ英雄自身の訳だと思うが、砕けるのは、これらの島々なのである。これらの島々が「千々に砕けて」、こういうところが、吉増剛造を驚愕させたのであろうと今気がついた。ここまで書いてきて、ぼく自身も驚いている。 「砕けて」の形は自動詞であるから、校注者たちの現代語訳のように「夏の海も千々に砕けて」ということになるのだろう、それを何者かによって破壊させられるというコノテーションのあるbroken intoと訳すと、この句の相貌がまったく劇的に変わってしまう。これらの島が百千に「砕かれる」、あるいは「砕て」(け、のない形もあるというから、これは他動詞そのものに、砕きて、とも読みうる)ならば、大いなる、魔界の力のようなものが、島々を千々に破砕する、ということになる。リービ英雄の文脈ではたぶんそういうことだろう。 芭蕉が松島で無言だったのは、あるいはそれを仮構したのは、「造化の天工」の偉大さによってbroken into thousands of pieces になるしかない「人為の技芸」というのを示したかったのだろう。透谷は次のように書いている。 ―― われ常に謂へらく、絶大の景色は文字を殺すものなりと。然るにわれ新たに悟るところあり、即ち絶大の景色は独り文字を殺すのみにあらずして、「我」をも没了するものなる事なり。絶大の景色に対するときに詞句全く尽るは、即ち「我」の全部既に没了し去られ、恍惚としてわが此にあるか、彼にあるかを知らず随ひ行くなり。玄々不識の中にわれは「我」を失ふなり。―― (「松島にて芭蕉翁を読む」明治25年) 実に久しぶりに透谷を読む、これも吉増剛造氏の講義のおかげである。吉増さんにならっていうならば、私の卒論は「透谷」だったのである。ああ! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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