カテゴリ:essay
昨日はいろんなことがあった。疲れもしたが、充実した一日でもあった。朝、10時半ころにウォーキングにでかけた。秋色の濃い、湯殿川の道を満喫した帰りがけに、颯爽としたジョギング姿の元の職場の同僚に会う。10月10日に浜名湖で80キロマラソン!があるので、それに出場するという。今日は中間たちとそのための練習日で、これから府中の多摩川の練習場まで走ってゆくのだという。私は恐れをなして、「ごめん、声をかけてしまって」、という。
午後は倉田君の『ささくれた心の滋養に、絵・音・言葉をほんの一滴』(笠間書院)の出版のお祝い会が神田である。6時半からなので、それまでに時間があるので、前から観たいと思っていた岩波ホールで上演されている映画『紙屋悦子の青春』を観る。なかなかのものだった。少人数の出演者、芝居のような映画だ。もともとは松田正隆の原作で、芝居のためのものであるというのがわかった、それを故黒木和夫監督が是非にということで映画化したらしい。舞台が鹿児島の米ノ津で、鹿児島弁も結構上手に聞こえた。戦争末期、特攻に志願する将校とその友人で飛行機の整備関係の将校がいる。特攻志願の将校は、先輩の妹である悦子にひかれている、悦子もまんざらではない。彼は、しかし、自分の友人である特攻に志願する必要のないもうひとりの将校に、悦子との縁談を勧める。悦子とその将校は夫婦になる。特攻志願した将校はもちろん戦死する。この二人の夫婦が老齢になった今、以上の昔を回想するという枠組みで映画は進行する。「なぜ、オイは死なんで、生きているのか」というような台詞、その後に、映画はフラッシュバックして、特攻で死んだ友人が仕組んだ縁談の見合いの席などを語る。このお見合いの席は秀逸で、コミカルな味さえたたえている。自分はいずれ国のために散らなければならない、そのかわりに親友に、自分の分までも、この愛する人と幸せに生きて欲しいという願い。映画はしかしそういうことを声高に語らない。あくまでも、日常の静かな一こまとして、すべてを描こうとする。これは、ある意味で、良質な日本映画の良質な伝統ともいうべきものだろう。劇的な盛り上がりがあるわけではない、ただ練られた、言い切ることのない台詞にすべてをこめるわけだ。たぶん、面白くないぜ、というのを裏切った、いい映画でした。
昼飯を食べていなかったので、ドトールでコーヒーとホットドッグを頼み、それから三省堂で文庫を2冊買い、ラドリオというお祝い会の開かれる古い小屋風の居酒屋に行く。倉田君の高校時代の旧師、藤井貞和さんや、彼の年来の友人で医者の日野さん、詩人の坂井さん、関さん、そして木村くん、笠間書院の編集長の橋本さんや、岡田さん、また詩人の駿河さん、後藤さん、画家の和田さんなど。日野さんのユーモアのある司会で、楽しい会はあっという間に終わってしまった。2次会の席では、激しい議論もあったが、私はそれも含めて、倉田君という人間の「幅」と「深さ」の大きさ垣間見た思いがした。 ちょっと、宣伝、笠間書院のHPに木村君と私の倉田良成の『ほんの一滴』の書評が近々アップされるはずなので、是非読んでください。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
October 1, 2006 08:31:35 PM
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