カテゴリ:essay
Ride the snake to the lake とJIM MORRISONは歌うけど、今はどこにも、乗るべき蛇もいなければ、大きな湖もない。ぼくの誤解、誤聴?に過ぎないのだろうが、ドアーズがここで歌っているのは、まだ夢見られた熱い自由があった時代の蛇であり湖である。 彼らの、そしてもちろんぼくの60年代とは違う意味で、現在はperfectにTHE ENDであろう。彼らの代表作である、このTHE ENDでは、近親憎悪的な殺人者を出して、父殺し、母殺しの「自由」を想像させ、それが、最終的な「自由」への踏むべき階梯であるかのように(しかしそう単純でもなく)音楽は進むのだが、現在は、そのような何かの代償としての「行為」や、フロイト的な「裏」の、完璧なTHE ENDを迎えているのではないか、しかも非常に深刻に、というのがぼくの実感である。 一皮めくれば、いつの時代でもそうだったのかもしれないが、そのめくる一枚の皮がなくなったように感じるのが今の時代である。そこでTHE DOORSのTHE ENDを現在において聴くのは、このグループの名前と、この代表作の名前との矛盾が当時において耳目をひきつけたであろう意味とは全く異なり、つまりデイアローグを喚起することはなく、ただドアのなかに閉塞して終わってしまう、というその姿である。 しかし、ぼくは定年になったら、perfectにTHE ENDを実践してやろうというのが願いである。どういうことか、ぼくにもまだよくわからないが。 The end of laughter and soft lies This is the end お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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