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詩人たちの島

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November 13, 2006
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カテゴリ:essay
  アメリカに住んで、そこで働いている娘が12月の2日から16日まで休暇で帰ってくるという。とてもうれしい。自分の生を静かに着実に築いて行っているということに対して、誇りに思う。何を語り合えばいいのか。もう「父」の役割はとうに終わり、彼女に癒されたいなどと思っている、くたびれた「老人」がいる。

 それにしても小島信夫はおもしろい。なにが面白いか言えないところが面白い。読んでいるときだけの快楽と苦痛、読み終わったときにはすべてを忘れて、日常に立っているが、その地平から、またコジマノブオは始まるのである。永劫回帰の文学、日常も文学も、この存在の大地に、「無」として、しかし、はっきりと刻印されるのである。

 昨日、小島信夫文学賞というのがあるのをはじめて知り、昔書いて中断している小説らしきものを書き継ぐ気になった。無論、この賞に応募するためである?ネットで調べてみて、この受賞者たちの作品で「片陰の町」(作品社)というタイトルの小説集を見つけた。吉住侑子さんという人。第二回の受賞者である。タイトルにひかれて、無性に読みたくなって、アマゾンで購入した。12月の初旬には届く。

 連続する、イジメに関する自殺について。報道される「姿」と、報道されない「姿」というものを考える。「母」はトルソーのような「姿」で「学校」を訴える、それをメディアは鬼の首をとったように外部の視点から映す。「鬼の首をとったように」というのは、そこで泣いている、訴えている、わが子を亡くした「母」を、どこか「勇ましい」ものに変えようとするトリックを感ずるからである。彼女は首がないトルソーであるから。--この子は「イジメ」という戦場で、理不尽さに果敢に戦い、力尽き斃れたのです。--

 どこでも試されているのは「言論」である。泣かないで言うことはむずかしい。訴えることは論理的であることは難しい(これは日本語の宿命でもある)、しかし、悪賢い連中はこれを利用するから注意せよ。あるものは「不愉快」を理由に、ある言論を排斥する、しかしその反論はないのである。

--何にもこだわらない。とても、朗らかな自然のあり方。誰が悪いんでもない、悪いのは、一番悩み、苦しんでいるもの自身が背負い、放り出すべきものだ。何もしたくないときに、ムリにすべきではない!そういうときは眠るのだ!眠れないときは、ムリして眠ることはない。起きていればいいのだ。起きていても、必要な眠りはひとりでにとれるのだ。-- (小島信夫「暮坂」より)






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Last updated  November 13, 2006 10:51:23 PM
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