カテゴリ:書評
アマゾンで先日頼んでいた『片陰の町』(吉住侑子・作品社)がもう届いた。この短編集を今日は一気に読んだ。練達の作品である。その措辞と描写は揺るぎなく、しかも写実を越えて、ある妖しさを結晶させる。でも、いやらしくはない。その中身は年寄りたちの話である、ぼくは読んでいて、元気付けられる気さえした。明るさとユーモアが、年寄りたちの暗さと不如意をはるかに越えて輝くのである。「強さ」を老齢の文学に加ええた、稀有な文学であると思う。深沢七郎などの系譜につながる女流だと思う。
落ち着かない日々が続いたが、ここらで覚悟を決めて、というような思い...。12月になると、またいろんなことで忙しくなるから、今やっておかなければと思うけど、昔からそう計画してできたためしがないから、ウーンとうなるしかない。しかし、吉住さんの小説にある、「光」のようなもの。公園で一対の男女が「ゼスチュアたっぷりに戯れている」。それを通りの向こうの喫茶店から見ている彼女は、そのあたりをはばからぬ若さに、憎しみを感じる。しかし、それはちがうのだ。この二人は手話を交わしているのだった。 ―― 質素な身なりや、みだらとも見える激しい手指の動きに、先刻は感じたわずかな憎しみが消えると同時に、自分の狭量を恥じる思いが湧いて、彼女は拳で額をたたいた。 この小説の中年の女主人公が幻視する「慈愛の光」、それについての様々な思念は抜きにして、たしかにこういう光を、それが「あるような気が」するという思いだけは、忘れてはいけない、忘れてはいない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
November 18, 2006 10:41:05 PM
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