451019 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

詩人たちの島

詩人たちの島

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
January 4, 2007
XML
カテゴリ:essay
ダラダラとテレビを見たりしているうちに、もう2007年は始まっているのであった。今日、明日と年休を取って閉じこもる。

違うようで同じ、兄弟だが同じ親の子、アイデンティティは似ているが、一人は権力の座にあり、一人はそれをひたすら狙うだけ、というグロテスクで近親憎悪的な関係を専らとする日本国の与党と最大野党の党首が、期せずしてというべきか仲良くというべきか、古代日本の聖域とされ、天皇家の始祖につながるとされる「伊勢神宮」を参拝した。

与党の若き党首、ということは日本国のプライム・ミニスターは、参拝後の談話として、型どおりの繁栄と平和を祈念したと言ったあとに、「皇室の弥栄(いやさか)をもと付加した。この人の口からは「美しい国」などというだれもがわかるけど、内実のない言葉が発せられることが多いが、私は「皇室の弥栄(いやさか)」という表現には驚いてしまった。大体、政治家などの言葉をだれも信用するはずはないが、「美しい国」とか「皇室の弥栄(いやさか)」とか、「私」の内閣のときに憲法をなんとかして変えたい、自分たちが憲法を書き改めたい、などという発言は、もうひとつの「憲法」といっても過言ではない「教育基本法」の改悪に裏打ちされて、このリーダーだけではない、この内閣の思慮の無さ、依然として小泉以来の「実効・実務的な」ネオリベの発言と政策とが力を振るっていることを実証している。小泉のときのスペクタクル的政治の華々しさが、「やらせ」談合(まさしく談合を日本ではミィーティングというのである)のような空疎な底上げの積み重ねによるものであったことが明白になったわけだが、そのときにはあった勢いも相次ぐ閣僚の不祥事によって衰えている現在において、この若き首相の「皇室の弥栄(いやさか)」とか「美しい国」(これも前者にならって言うならば「うるはしorうまし国」とかに訂正すべきであるが)という発言には驚嘆と恐怖の両方を覚えずにはいられない。古語に、驚き呆れるという意味を担う「あさまし」という形容詞があるが、まさに「あさまし」としか言いようのないアナクロニズムをこの若さで演じているのが、古代のあんまりぱっとしない豪族の姓を受け継ぐこの首相なのである。

「蜻蛉島、倭の国は 神からと 言挙げせぬ国…」(万葉集・巻13・3250)などという表現が、古代にはあった。(蜻蛉島、日本の国は、神の意に従って言挙げをしない国だ)というような意味である。「言挙げ」とは、広辞苑によれば「言葉に出して特に言い立てること。とりたてて言うこと。揚言」という説明がある。古事記のヤマトタケルの説話のところで、伊吹山の神そのものだったのに、出現した白猪(しろゐ)に対してタケルが「言挙げ」して、
―― 「この白い猪に姿を変えているのは、この山の神の使いであろう。今殺さずとも、帰るときに殺せばよかろう」と言うての、そのまま山を登っていったのじゃ。すると山の神がにわかに荒れ狂うて、大粒の氷雨を礫のごとくにふらせての、ヤマトタケルを打ち惑わしたのじゃった。この白い猪に姿を変えておったのはの、その山の神の使いではのうて、まこと、山の神そのものだったのじゃ。それを見抜けずに、偽りの言葉を口の端に載せてしもうたのでの、ヤマトタケルは神の怒りに惑わされてしもうたというわけじゃ。――
となるところがある。これは三浦佑之の評判になった「口語訳 古事記」(文春文庫)の訳であるが、三浦さんは詳細な註をつけて、この「語り手」の翁を創設した自らの「超訳」を補ってくれている。彼はここでのタケルの「言挙げ」を「神などに対して、慎みなく挑発的な言葉を口に出してしまうこと」と説明している。

安倍はヤマトタケルを気取っているのかというようなことを言っても意味はない。「美しい国」などという「言挙げ」は、渋谷望(「論座」1月号)に言わせれば「総下流社会」になりさがったこの国の自己欺瞞としての「自分らしさ」の志向に他ならない。「恥知らずな凡人」としての統治者のリレーがここまで続いていて、だからこそ安っぽいスペクタクルで我々の眼を覆い、規制緩和の必然的な帰結、ということはアメリカの衛星国としての必然的な帰結としてアメリカばりの「格差社会」を押し付けられ、押し付けたわけである。

この現在において、「美しい国」「皇室の弥栄」などという発言をなにも知らずに、無邪気に言っているなら、心底からのアホである。「畏れ多いこと」だが、「皇室」でさえ、安倍のような認識のずっと先に、「個人」としての身体を露出させようとしているのではないか。

「白い猪」を「神」として認識するとはどういうことか?簡単に言えば、ここまでの日本の「伝統」「文化」をとくと見つめなおすということに他ならない。ナショナリスティックな、ポピュリスム風の人気とりの言説が、この国の「本質」を言い当てているということには決してならない。

釈迢空の「倭をぐな」から数首、

ますら雄は 言揚げよろし。仇びとの命をすらや 惜しと言ふなり
あなかしこ やまとをぐなや―。国遠くて行きかへらず なりましにけり
日の本のやまとをとこの みじかくて 潔きことばは、 人を哭かしむ
この国のたたかふ時と はしきやし 若きをとこは、堪へとほすらし
きさらぎのはつかの空の 月ふかし。まだ生きて子はたたかふらむか

一番最後の歌は硫黄島の春洋を思いやったもの。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  January 5, 2007 01:23:29 AM
コメント(3) | コメントを書く
[essay] カテゴリの最新記事


PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

蕃9073

蕃9073

Favorite Blog

まだ登録されていません

Comments

船津 建@ Re:Die schlesischen Weber(シレジアの職工)(05/25) 引用されている本にはかなり重大な誤訳が…
名良橋@ Re:言挙げせぬ国(01/04) YouTubeで虎ノ門ニュースをご覧下さい 自…
http://buycialisky.com/@ Re:これでいこう(04/05) cialis vs viagra pros and conscialis so…
http://buycialisky.com/@ Re:鼓腹撃壌(12/25) cialis alcohol efectoscialis 5mg tablet…
http://buycialisky.com/@ Re:横浜遠足(04/30) what do cialis tablets docialis typeson…

Freepage List


© Rakuten Group, Inc.
X