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側家戸節(すばやどぶし)
側家戸節は大概次のような歌詞である。 側家戸ば 開けてぃ 愛加那待ちゅる 夜や 夜嵐や 繁く 愛加那やまだ見らぬ あきぬ魚ば かけてぃ 縄ともち やらち やらち うちむどぅち 吾 玉黄金 歌の意味は「家の横戸を開けて愛する人がしのんでくるのを待っていたが、夜嵐が激しくなり、あの人はやってこなかった。かじきまぐろが縄にかかったら縄を止めてやるのだ。うまく戻せば自分のものになる」。前山真吾の歌う「星降ル島ヌ唄」の解説によれば、この唄は、「奄美大島南部・宇検村で盛んに歌われる唄。二節目の あきぬ魚 はかじきまぐろの意。掛かると引きが強烈で、舟を引っ張るので 歩きの魚 と異名がついた。自由奔放に生きる女性をかじきまぐろに喩え、うまく掛かって自分のものにせよと歌っている」とある。 一昨日、昨日と、飲んだので、今日は一日中ダウンの状態だった。それで上記の唄をくりかえし聴いていたら、すこし元気がでたのだった。一昨日の「桃の忌」では池井昌樹さんに初めてお会いした。彼の世話でこの会田綱雄を偲ぶ会が今年で17回も続いているわけだ。八木幹夫さんとも、はじめてだったが、昔から知っていたような感を受けたのはなぜだろうか?甲田四郎さん、野村喜和夫さんとも実に久しぶりに声をかわした。すべてが会田綱雄という詩人の引き寄せたものだったろう。 井の頭公園の桜の莟みもふくれていて、いつでも咲く準備ができているという感じだった。ここの池も、昔学生時代に酔っ払ってさ迷ったままのようだ。あの頃は遠く過ぎてしまったが、あの頃に今の自分がここに来て、こうして「桃の忌」に出る前の時間をつぶしているなどとはもちろん想像もしなかった。公園の野外ステージはまだあり、そこで友人たちと劇をみた思い出、見たというより、ただ酔っ払って、「下手糞」とか痛烈な野次を飛ばし、そこで、誰彼かまわず、そこにいたものたちに喧嘩を売って、殴り返されたこともあった、そういうことが急によみがえる。あるいは、深夜、激情に駆られて、そのよどんだ池に飛び込み、泥だらけになったみじめな自分をもてあました朝もあった。そんな若いときの日はたぶんだれにでもあって、それは思い出すだけで厭なものから、少しは現在の自分を前に動かすようなものまでいろいろある。 こうした昔のことをいつもとはちがい、最近よく思い出すのは、この前読み終わったEvelyn Waughの”BRIDESHEAD REVISITED”の影響が幾分かあるのだろうか。 この本を訳した吉田健一は『書架記』で次のように書いている。 ―オックスフォードの話からこの小説の本文とも言うべきものが始まっている。そしてここでもう一度繰り返してそれはウォオが既になくなったもの、戦争で一時的にその俤を失ったのみならずやがて決定的に姿を消すものと考えてその愛惜の念からも記憶を微細に辿って書いているものでこの場合にも遠いから近くにあり、余りに鮮明であるから却って遠くに見えるという物語というものの性質が頭に浮かぶ。それが我々を夢心地に誘うと言ってもこの際にはその意味を取り違えられる心配がなくて、ここまで来れば我々が英国もオックスフォードも知らなくて歴史も伝統もそれが何であるかを弁えなくても我々が読んで行く支障に少しもならない。源氏を読む我々も牛車に乗ったこともなければ半蔀がある小窓を見たこともなくて「パルマの僧院」が逆に我々に19世紀初期のイタリイに就いて教えてくれる。既に我々は「ブライヅヘッド再訪」の世界に引き入られているのである。― たしかに「遠いから近くにあり、余りに鮮明であるから却って遠くに見える」物語とは、実は我々の「生」の物語のほかのものではない。 一人一人の生も「かじきまぐろ」のように、「歩きの魚(いお)」のように、捕まえがたいし、引きも強い。しかし、その「遠いから近くにあり、余りに鮮明であるから却って遠くに見える」性質を利用して、それが油断をしているとき、そう、遠さのなかに霞んでいるようなときに、それが実は私が歩き出すこの足がかつてこの井の頭公園の土を踏んだ感触を鮮やかに想起させることにもなる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
February 24, 2007 11:23:23 PM
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