カテゴリ:essay
同じこと、簡単なことだが、そのくり返しが疲れの原因だろうか?老化の原因だろうか?
対象と自らの組み合わせが、わかりきった関係になってしまっていると、そこに働くのは、感情的なものだけになってしまい、その感情を日々もてあますことになる。時々、そこにユーゴーの言う「大洋の嵐よりもたちの悪い人間の激情」のようなものが頭を持ち上げようとする。 理性は形式的なものになり下がり、ただ自己保存と自己破壊の危ういバランス見てみぬふりをしている。というようなことを考えてみるが、これはひたすら今の自分の傾向を対象化したいからである。 ある種の無感動(アパティア)が私を襲っている。しかし、それはドイツの昔の哲学者が言うように、なにかの前提であり、それ自体は悪でも善でもない。義務としての力の意志のようなものが欠けている。悪をなす力、善をなす力は道徳的なアパティアを前提としているが、そういう力が欠けているのである。力への飛翔が。 日曜日、打ち負かされることが一件、それを笑うことが一件、この笑いはルサンチマンに落ち込みそうな危険を帯びたものだったが、その一歩手前でこらえることができた。しかし、そのあとの方策には手を伸ばせないでいる。 新しい詩集を出すことを考えている。膨大なものになるか、小さなものになるか、その考え自体に閉じこもることで、今日一日を過ごす。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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