カテゴリ:essay
そんなに「強制」を認めたくないのなら、今存在するあらゆる「強制」をすべて廃棄せよ。
「式」におけるそれ、従軍慰安婦におけるそれ、沖縄戦での日本軍による集団自決の「強制」。こういったものにおける「強制」的な命令、拉致、をクニや行政は一向に認めようとしない。教科書「検定」という「強制」によって、今年の「日本史」の高校の教科書から、沖縄戦での日本軍による住民の自決の強制という記述をすべて変更するようにという意見がつき、各社の教科書から今まであった、その記述がすべて変更され、なくなるという事態が起きた。この記述に関しては初めてのことだ。 これに関してabeは会見で、「検定制度にのっとったものだ」という短い、無責任な発言をしただけである。一連の歴史事実の「見直し」の機運に、文科省がのったことは明白であり、それを推し進めているのがabe自身やこれにつながる愚かなブレインたちであることも明らかなことである。 非常に疲れる。 昨日の新聞で、島尾ミホさんの逝去を知った。「死の棘」の圧倒的なヒロインが死んだ。お会いしたい人だった。学生時代にミホさんからもらった一枚の葉書があった。島尾敏雄に出した手紙の返事で、島尾さんが自転車事故で入院していて返事を書けないということの知らせだった。島尾文学の一ファンの手紙に対する丁重な返事に、傲慢な学生だったぼくは感激したが、その葉書は散失してしまった。 自分たちを半世紀以上にわたって曲がりなりにも生かしてきた戦後の「理念」のようなもの、それがすべて息の根を止められようとしている。文学におけるそれ、歴史におけるそれ。私利私欲にかられて、クニの負の遺産を消してしまおうというレビジョニストたちのやりくちには我慢がならない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
March 30, 2007 09:04:23 PM
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