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詩人たちの島

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April 8, 2007
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カテゴリ:music
――以下友人の駒場さんの私信を無断で掲載する。駒場さん、事後承諾ということで許可してくださいね。そしてもちろん以下の問いに対して答える素養は私には一切ありません。このblogは「詩人たちの島」というのですから、今回は駒場さんをその詩人の一人として紹介したいのです。そしてこれを読まれた方で以下の詩人たちのことをご存知のかた、どうぞご教示ください。――


水島さん
 
少し教えて欲しいことがあり、メールします。年度始めの御多忙の所、ご免なさい。

先生のブログ4/3の、ボルヒャルト「休止」ですが、どうも小生には、シューベルト
の「冬の旅」あるいはミュラーの原作品との関連が疑われてなりません。どちらもド
イツ語の作品ですよね。ドイツ文学はもとより、ドイツ語すら全く解らない者の妄想
でしょうか。あるいは訳者渡辺祐邦の意訳のせいでしょうか。ちなみに、

  休 止       ルードルフ・ボルヒャルト (渡辺祐邦 意訳)
深い記憶の蔭に時が癒着している。
昔の道はひと気がなく広かったが、今は人間でごったがえしている。
ああ、ぼくの心の奥底に今も聞こえる木の葉のざわめきよ。
おまえは、ぼくが好きだったあの音を今ももっているだろうか。
ちっともぼくの邪魔にならなかった音調は、
今もおまえのなかにあるだろうか?
ただザワザワとざわめいているだけでいいんだよ。
はっきりとした音を
おまえから聞きたいなんて、思っていないのさ。
耳を澄ましたりすれば、きっとおまえも痛いだろうから。

に対し、原作Wilhelm Mullerのは、次の通りです。ネットからのコピー故、綴りなど
不正確かも知れません。

Der Lindenbaum
    菩 提 樹 訳詩:神崎昭伍

Am Brunnen vor dem Tore da steht ein Lindenbaum;
ich traumt'in seinem Schatten so manchen susen Traum.
Ich schnitt in seine Rinde so manches liebe Wort;
es zog in Freud und Leide zu ihm mich immerfort.
城門の前の泉のそばに,
一本の菩提樹がある.
私はその樹かげで
多くの甘い夢を見た.

その樹肌に
多くのいとしい言葉を刻んだ,
喜びにつけ悲しみにつけ私は
その樹の方へと引かれる思いがした.

Ich must' auch heute wandern vorbei in tiefer Nacht,
da hab ich noch im Dunkel die Augen zugemacht.
Und seine Zweige rauschten, als riefen sie mir zu:
komm her zu mir, Geselle, hier findst du deine Ruh!
今日もまた私は真夜中に
そこを通りすぎることとなった.
そのとき闇こつつまれた中で私は
なおも眼を閉じた.

そして菩提樹の枝はぎわめき
私に呼びかけているようだった.
「私のところへおいで,友よ,
ここに安らぎがある!」と.

Die kalten Winde bliesen mir grad in's Angesicht,
der Hut flog mir vom Kopfe, ich wendete mich nicht.
冷たい風がまっすぐに
私の顔に吹きつけ,
頭から帽子がとんで行ったが,
私はふりむかなかった.

Nun bin ich manche stunde entfernt von jenem Ort,
und immer hor ich's rauschen: du fandest Ruhe dort!
いま私はあの場所から
何時闇も離れたところにいるが,
ぎわめきはずっときこえている.
「あそこにお前のやすらぎがある!」と

原作品を読むのではなく、シューベルトの「冬の旅」を聴く時、小生は、自分の親方
の「美しき水車屋の娘」に失恋した徒弟が、その水車屋(製粉業)に居づらくなって
出た修行の旅として聴いてしまいます。「美しき水車屋の娘」でなくとも、産業革命
初期のまだ徒弟制度の残っている社会での失恋の歌であることは間違いないでしょう

「菩提樹」の

Und seine Zweige rauschten, als riefen sie mir zu:
komm her zu mir, Geselle, hier findst du deine Ruh!
そして菩提樹の枝はぎわめき
私に呼びかけているようだった.
「私のところへおいで,友よ,
ここに安らぎがある!」と.

は、「休止」の

ああ、ぼくの心の奥底に今も聞こえる木の葉のざわめきよ。
おまえは、ぼくが好きだったあの音を今ももっているだろうか。

に重なっていますよね。ただ「休止」の人物は、産業革命初期と言うよりは、もう少
し時代が進んでいるようですね。

昔の道はひと気がなく広かったが、今は人間でごったがえしている。

とあります。町はずれにあった「水車屋」も製粉工場に、畑や森も住宅や工場に変じ
て、道路も更に拡張舗装、蒸気機関車はもとより、自動車でも走っているかのような
表現ですね。更に「休止」には、

深い記憶の蔭に時が癒着している。

とありますから、19世紀初頭の若者が、老境に至って、未だに抱え続けている青春
のトラウマを想い起こしているように思えたのです。
ボルヒャルトは、いつ頃「休止」を書いたのでしょう。

「ぼくが好きだったあの音」
「ちっともぼくの邪魔にならなかった音調」

とは、矢張り、失恋する前の若者が、「美しき水車屋の娘」にこだわれば、水車屋の
娘と愛を語りあった菩提樹の木の葉のそよぎでしょう。沢山の楽しい夢を見たはずで
すね。
われながら呆れるほど、妄想のとどまるところを知りません。
水島さんも多分、あきれ顔のようですね。急ぎませんので、何か判ったら教えて下さ
い。

閑話休題。
菩提樹の葉のそよぎが、ピアノから聴き取れたでしょう。シューベルトの見事さです
ね。他にも、鴉の声、郵便馬車のラッパ、水の流れなどなど聞こえてきますね。
F-ディースカウのCDは、初期のEMI盤(1962)ですか、それとも独グラモフォ
ン盤(1972)ですか? どちらもムーアとの録音は、彼のまだ若々しい声が素晴らし
く、高音の輝きもあって良いですね。それだけに、「冬の旅」の若者がよりドラマ
チックに描かれているように思います。
その後の彼の演唱は、すべてのCDを聴いた訳ではありませんが、旅の最後23曲「幻
の太陽」24曲「辻音楽士」に至って、若者が虚無の深淵に達してしまったかのように
演唱するよう、変わっていったように感じています。ですから、F-ディースカウの
歌う若者には救いがないようにも思ってしまうのですね。小生の単なる思いこみだと
思いますが。

長くなりすぎました。時期をわきまえず、失礼致しました。
この辺で、また。





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Last updated  April 8, 2007 11:08:23 PM
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