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詩人たちの島

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April 16, 2007
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カテゴリ:書評
こういう日本人がいた、というのは驚きだった。いや「日本人」という「起源」やidentityなどはこの人には関係がない。そう、マサオ・ミヨシのことである。カリフォルニア大学バークレー校で長年にわたり英文学、それもビクトリア朝!文学の正教授として教えながら、深く反ベトナム戦争をはじめ様々な反体制的な政治的運動に関わり、そのオーガナイザーでもあった男。ノーム・チョムスキーやエドワード・サイードの友人であり、歯に衣着せない批判者でもある人間。彼のインタビュー集である『抵抗の場へ』(マサオ・ミヨシ ×吉本光宏・洛北出版)を昨日、紀伊国屋書店でVonnegutの本と一緒に求めて、今日読み終わった。昨日の朝、朝日の書評で柄谷行人が紹介していた、それを斜め読みに読み飛ばして出かけたのだが、この人物のことが忘れられなかったのである。

そのスケールの大きさ、大学人としてのそれに到底収まるものではない。あらゆる対談で相手を容赦なくやっつける。「対談」とはそういうものだというのが彼の考えらしい。50年代の初期にフルブライトでアメリカに留学して、曲折はあったが、そのままそこに居つき40年余りになる。とにかくすべてにおいて桁外れの巨人である。一高から戦後すぐの東大英文科に学んだが、東大には一日も出なかったらしい。そこの英文の教授たちとその教え方を徹底して馬鹿にしていたからだ。戦中の自らの戦争に対する悔い多い経験が、アメリカでのはっきりと反対意見を言う姿勢をつくったとも述べている。そして自らの生き方をperverse(つむじまがり)という言葉で総括している。

いろんなエピソードがあるが、次のような話はどうだろうか。村上春樹と対談したときのこと。
―― 僕自身は村上はつまらない余興家だと思っています。彼は本当に、全く使い捨て可能な作家です。村上と僕はプリンストンで二時間に及ぶ公開討論をしました。僕は「あなたは何も言うことがないのか。あなたの言っていることはつまらない」と面と向って言いました。彼は異議を唱え、自己弁護した。それは実際いじらしかった。村上春樹は、日本で誰も彼のことを真剣に批評しないことを不満に感じているのだろうと思います。だからアメリカに来て、アメリカの読者を探しているのでしょう。今のところアメリカでは彼に対する賞賛は高まるばかりです。…しかし、誰かが認められ、褒め称えられるとき、その動機が正確には何なのかを考えるべきです。例えば、何か賞を、ピューリッツァー賞でもノーベル賞でも取ったときなどには、概してそれは何らかの党派争いが理由となっているのですから。――

まさにperverseである。

でもこれに限らないが、彼のperversityは嫉妬や憎しみのそれから生まれているのではない。それこそ彼が「日本」にいたときにいやと言うほど経験し、そのためにそこを去る原因になったといっても過言ではないからだ。内輪ぼめかさもなくばあたりさわりのないことばかりを言い募るが日本のアカデミーに他ならない。そこには「批評」がないというのがミヨシの言いたいことなのである。

彼は人文科学、とくに文学研究に死を宣告して、今や地球、ガイアそのものの環境とその運命のために研究しているという。

彼は2000年から、わざと包括的なタイトル―Japan is not interesting―というのをつけて、オーストラリアなどで連続講演をやったらしい。その反響も面白いが、私はミヨシがあえてこういうタイトルでゆさぶりをかけるその姿勢を面白いと思った。

―僕が「日本は面白くない」ということで、それを聞いた人たちは、物事を真剣に議論しあうべき…いや「べき」ではない、議論し始めるだろうと思ったのです。例え些細なことについてでさえ、日本が面白くないと断定的に決め付けられたら、いったいそう言われた当事者たちは何を言うべきなのでしょうか。仮に僕なら、まず、ではどの国が面白いのかと問い直すでしょう。それから「国」ということではなく、「村」、都市、一群の作家たち―そうした何かしらもっと局地的で、小さな単位についての批判を行っていくでしょう。――

なお、このインタビューは聴き手の吉本とミヨシのあいだで、すべて英語でなされたということである。それをおこしたのを訳し、そこに両者が日本語で加筆削除を加えたという。

それから、アメリカにきて、一番よかったのは、だれもが「アメリカは、アメリカは、」と言わないことで、自分の過激なアメリカ批判に対しても同僚の大学人たちは賛意を表してくれたということである。それに対して、日本は何にでも「日本は、日本は、日本は」という、それが一番いやだともミヨシは述べる。「アメリカ絵画なんてあるものか」というのがミヨシの意見だ。「絵画」で充分だと。「美しい国、日本」なんてあるもんか。それらは歴史的・政治的につくられたものでしかない。

思い出した。ミヨシはまた日本文学で太宰と谷崎を評価しているのだが、谷崎の「陰翳礼讃」について、あれが谷崎潤一郎のジョークであるとわからぬ日本人は馬鹿だというのである。これは痛烈だった。

オタクなどとほめられている状態から脱け出さなければいけない。





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Last updated  April 16, 2007 10:06:05 PM
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