カテゴリ:書評
一日は4年ぶりに日比谷野音で行われた日比谷メーデーに参加した。最後の年だからと思い、旧友たちにもしかしたら会えるかもしれないという気持で参加したのだった。今は職場を異にしている多くのなつかしい顔を見ることができ、立ち話を交わした。それぞれの老いとそれぞれの怒りをかみしめて、わずかの距離だが銀座をデモ行進した。そのあとは今年同じ職場を転勤したKさんの案内で恵比寿で飲んだ。これも久しぶりに痛飲して楽しかった。 二日は遠足の引率。都内散策ということで、上野公園を集合地にした。ダビンチの「受胎告知」をついでに観たが、人の頭を見たようなものだった。でも、なにかしらん、奇妙に印象的な絵である。 遠足の日に、日本国憲法特集とある「論座」6月号を買い、休憩の合間に、隅田川を眺めながら読んでみた。加藤典洋さんの―新「敗戦後論」―70枚が巻頭論文として掲げられてあるのが目玉だった。それを読んでみたかったので買ったのだ。加藤さんの言う、自らの思想のオーソドクシーという立ち位置から、9条に関してとくに論じられている。要するに、戦後を知らない若者たちにも理解させ、納得させる方向で9条の問題が論じられなければならないというものだ。その結論は今の9条にあるねじれと矛盾のままに、9条を選びなおすというものである。理念と現実の落差、そのものが、この戦後の日本の「平和」をつくってきたのだという見解であり、これは内田樹の考えの踏襲であるが、それが今一番のものだというのが加藤さんの考えでもある。 これに関しては、この論文の文体そのものもふくめて、ぼくにはあまりピンと来なかった、というのが正直な感想である。加藤さんはこの論文を自ら編集部に頼んで載せてもらったと言う。その意気込みに反して、そこに書かれているのはあまり人を鼓舞するものではない。こういうと誤解を招くかもしれないが、これを読んだときのぼくの心理状態もあるのかもしれないが、何も勇気付けられたりするために9条があるわけではなく、それはその「よごれ」「ねじれ」そのものをしっかりと見つめなおし、そのままそれを受け取るのが今は最善なのだということもわからないではない。しかし、こういう見解は権力にはどう映るのだろうか?その改訂をねらっている今の安倍政権との拮抗を、旧来の「護憲」の立場とは違う質と思想で、この論文は創りえているのか?そういうことを正直言って感じたのである。また仔細に読み直せば違うかもしれないが、今のぼくの感想である。 今日の朝日新聞は社説を21本も載せるという思い切った企画をした。これもまだ全部読んだわけではないが、ここには妙にアグレッシブな、あるいは楽天的な、悪くいえば能天気な考えが充満している。そうですか、そんなに元気になれますか?というのがぼくの感想である。加藤論文の、文体とは裏腹な、わるく言えばショボイ、元気のない結論にも不満が残るが、朝日のこの元気のよさ、この世界で日本がこんなことを果たしうるのだという疑いのない優等生の書くような論調にも不満がある。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 3, 2007 08:33:47 PM
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