カテゴリ:essay
最近、独り言をいう癖がはげしくなったようだ。今日は、「どうしたら正常を保つことができるのか」などと、呟いている自分に気づいて、驚いた。その呟きが、妙に他者の言葉であるかのように、自分自身に響いたからである。まるで「誰か」が私に向って語っているかのようだった。ついに俺もモーリス・ブランショの境地に達したのかと冗談で思ったりした。あるいは分裂症のような幻聴の境地に達したのかもしれない。人間という機械も59年もうなり続けていたら、どこかにガタが来ないほうがおかしい。
―― 「誰か」が語り、「誰か」が見て、「誰か」が死んでいく。つまり複数の主体が存在するのです。主体とは「可視的なもの」の塵のなかを舞う微粒子であり、匿名性のつぶやきのなかに置かれた可動性の場のことです。主体はいつも微分の様相を呈する。主体は誰かが語り、誰かが見る行為の密度のなかで生まれ、そこで消滅していく。このような主体観から、フーコーは「汚名に塗れた人」という奇抜な考え方を導き出してくるのです。しかもこの考え方にはさりげない快活さがただよっている。 これは、いわばジョルジュ・バタイユと正反対の考え方で、汚名に塗れた人を規定するのは悪における過剰ではなく、ふつうの人やありふれた人が、隣人の苦情とか警察の出頭命令、あるいは三面記事的な事情によってふいに日の当たる場所に引き出されたとき、汚名に塗れた人になるという‥‥。つまり権力との対決を強いられ、何かを語り、みずからの姿を人目にさらすことを命じられた人間。だから汚名に塗れた人は、カフカよりもチェーホフと、はるかに強い類縁性をもつことになる。チェーホフには、幾晩も眠れなかったので赤ん坊の首を絞めた子守の少女とか、釣竿の錘にするために線路の釘を抜いて裁判にかけられた農夫の話がありますよね。 汚名に塗れた人とは、光の束と音響の波動にとらえられた微粒子のことなのです。 それに汚名とは逆の「名声」も、汚名と別のあらわれ方をするとはかぎらない。権力にとらえられ、私たちに「見ること」と「話すこと」を強いてくる権力の審級によってとらえられるところに名声があるわけですから。 ある時期、フーコーは自分が著名人であることに耐えられなくなりました。何を語っても、かならず誰かが待ちかまえていたからです。称賛されようと、批判されようと、まったく同じだった。誰もフーコーを理解しようとしなかったのです。では、「待たれざる状態」をとりもどすにはどうしたらいいのか。なにしろ「待たれざる状態」とは仕事をするための必要条件にほかならないわけですからね。汚名に塗れた人になること。これがフーコーの夢だった。滑稽な夢でもあれば、いかにもフーコーらしい笑いだともいえる夢。私は汚名に塗れた人なのか。『汚名に塗れた人々の生活』というフーコーの文章はまぎれもない傑作です。―― ジル・ドゥルーズ「記号と事件」宮林寛訳・河出文庫 ちょっと長い引用になったが、とても面白いし、備忘のためにも書いておく。これはジル・ドゥルーズが盟友フーコーの亡きあとに受けた、フーコーに関する数多いインタビューのうちの一つでの発言である。晩年のフーコーの「主体化」という概念はいろんな誤解を受けたらしいが、ドゥルーズは上記のようにまとめている。―主体とは「可視的なもの」の塵のなかを舞う微粒子であり、匿名性のつぶやきのなかに置かれた可動性の場のことです―という定義はフーコーのものというよりも、どちらかといえばドゥルーズのものなのだろうが、限りなく美しい。「光の束と音響の波動にとらえられた微粒子」という考えも、強いられて汚辱、汚名を生きざるを得なかった人々を根底から回復するような考えである。 木村和史がtab4号に書いている「義父の死」という散文は傑作である。泥棒猫のように娘さんをもらっていきます、という一方的な手紙を義父に送りつけたまま、東京に出た。彼はそのときの悔いを抱きながら、何もなかったように彼と娘の生活を伏し目がちに見守り続ける義父とその最近の死まで付き合い続けてきたのだが、その義父が彼を、それから正視することになる事件があったという。 ―薄氷を踏むような、融けない氷を抱いたままのような十数年を、ふたり(義父と木村のこと・ban注)のあいだに立って何事もなかったかのように配慮してくれていた義母がとつぜん亡くなった。そのとき、義父と顔を合わせた途端にこぼれ落ちたわたしの涙を見て、義父は不思議そうな顔をした。そのとき初めて、義父はわたしの目をまっすぐに見つめたのだ。その日が和解の日になった。―― しかし木村は最後まで義父に言葉で謝罪することはなかったと書く。 ―なにかこだわりがあったわけではなかった。意地とか恥ずかしさのせいでもなかった。その言葉がちゃんと使われたもう一つの人生の方がはるかによかったはずなのに、その言葉を使わなかった。使えなかったということは、きっとまだわたしは愚かなものを克服できないまま生きているのだと思う。――というのがこの散文の結びである。「愚かな若者」として、義父や義母の感情を理解できずに、その娘さんを奪うようにして出奔した日。それからの何十年かの生。木村の胸のなかの、その奥底の「愚かなもの」は今でも息づいているのだが、しかしその克服も制御もできないと彼が感ずる「愚かなもの」こそが、木村のなかの「誰か」であり、木村の主体の「可動性の場」でもある。それを含めて、温厚な義父は彼を許したのではないか。 なにもドゥルーズと結びつける必要はないのだが、この散文のもつ「塵のなかを舞う微粒子」のような、あるいは「光の束と音響の波動にとらえられた微粒子」のような慄えとその美しさを伝えたかったのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 21, 2007 08:05:19 PM
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