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Im wunderschönen Monat Mai
今日、駒場さんと一緒に6月から始める公開講座の打ち合わせみたいなことを職場でした。わざわざ、駒場さんが来てくれたのだ。お土産までもらった。シューベルトの「冬の旅」とシューマンの「詩人の恋」、ともにディスカウとハルトムートヘル(ピアノ)のCD。これは彼が実際演奏会で聴いたもの、そのFM放送を録音して、自身が作製したカバー付のきれいな二枚組みのものである。正確にディスコグラフィーを書いておこう。「冬の旅」は1987年、10月22日、サントリーホールでのライブ、1988年、2月4日のNHK、FMで放送されたものが音源である。もう一つは「ハイネの詩による 歌曲の夕べ」というタイトルのディスカウのライブ、これは1989年、5月4日、サントリーホール、同年5月12日、やはりNHK、FM放送、これが音源である。 今、シューマンがハイネの"Lyrisches Intermezzo"「叙情的間奏曲」に曲をつけた「詩人の恋」を聴きながら書いている、その最初の「美しい5月に」という曲は20代のころに伊豆大島の職場に勤めていた頃のむせかえるような椿の緑の思い出とともに、時々5月になるとよみがえってくるメロディーなのである。ひさしぶりに聴いた。 以下、ウィキペディアより。勉強のために。 ――詩人の恋(しじんのこい、Dichterliebe)はハインリヒ・ハイネの詩によるロベルト・シューマン作曲の連作歌曲。作品48。1840年(シューマンの「歌曲の年」)に作曲された。 シューベルトを継ぐ代表的ドイツ歌曲作家となったシューマンの、最も有名な歌曲集であるが、典型的ピアノ作曲家の彼らしく、ピアノ伴奏も声楽にも増して表現力豊かである。ハイネの詩集「歌の本」Buch der Lieder の中の「叙情的間奏曲」Lyrisches Intermezzo によるが、全20篇のうち収録されたのは16曲である。ハイネは代表的ロマン主義文学者でありながらドイツロマン主義への批判精神を失わないのが特徴であるが、詩の中に盛り込まれた皮肉をシューマンがどれほどまで音楽的に表現しえたかが議論の的になっている。 次の各曲からなる。第1曲から第6曲までは愛の喜びを、第7曲から第14曲までは失恋の悲しみを、最後の2曲はその苦し みを振り返って歌っていると考えることができる。 1 Im wunderschönen Monat Mai (美しい五月には) 嬰へ短調。冒頭から減7度の和音による展開で主調への解決を避けている。憧憬とも喜びともつかない季節の情景や心理をピアノ伴奏が演じている。主題は何回か繰り返されるが最後になっても主和音は現れない。 2 Aus meinen Tränen sprießen (僕のあふれる涙から) (前曲の)主調を回避する不安定さと変わりイ長調の静かな部分。一旦舞い上がった感情が収束している。 3 Der Rose, die Lilie, die Taube, die Sonne (ばらに百合に鳩に太陽) ニ長調の明るい歌声。ピアノ奏者は朗々とした歌詞を損なわないことが要求される。 以下略 ―― 「憧憬とも喜びともつかない季節の情景や心理をピアノ伴奏が演じている」というウィキペディアの書き手は書いている。言いえて妙である。詩は以下のようである。これはネットで探してみた。訳もそのページの書き手のものである。悪いが、お借りしておきます。 Im wunderschönen Monat Mai, 素晴らしく美しい五月に、 Als alle Knospen sprangen, 全ての蕾がポンと開いた時、 Da ist in meinem Herzen その時僕の心の中で Die Liebe aufgegangen. 愛が芽生えた。 Im wunderschönen Monat Mai, 素晴らしく美しい五月に、 Als alle Vögel sangen, 全ての鳥たちが歌った時、 Da hab ich ihr gestanden その時僕は彼女に打ち明けた Mein Sehnen und Verlangen. 僕の憧れと想いを。 (以下は2番) Aus meinen Tränen sprießen 僕の涙から Viel blühende Blumen hervor, たくさんの花が咲き、 Und meine Seufzer werden そして僕のため息が Ein Nachtigallenchor. 小夜鳴き鳥たちの歌になる。 Und wenn du mich lieb hast, Kindchen, もし君が僕を愛してくれるなら、愛しい子よ、 Schenk ich dir die Blumen all, 僕は君にこの花を全て贈ろう、 Und vor deinem Fenster soll klingen 君の部屋の窓辺で響くだろう Das Lied der Nachtigall. 小夜鳴き鳥たちの歌が。 3番は省略しておこう。日本語を読むのと、ディスカウの「魂」の入った声を聴くのとは大変な違いがある。ドイツ語の響きの美しさ。意味はわからなくとも、ディスカウの声とピアノが描き出す音楽そのものが何かを言っていて、本当はそれで充分なのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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